“共依存”をテーマとした映画『共に歩く』をご存知ですか?
親に愛されなかったために精神的に不安定なまま大人になった女性・明美と、彼女を献身的に支えようとする男性・哲也。そんな二人を通して共依存とは何かを描いた作品です。
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主演は小澤亮太さん。自分を束縛する恋人にどう接すべきなのか、苦悩する青年を体当たりで演じています。
この明美のように「彼が好きだから束縛してしまう」と思っている女性は多いのではないでしょうか。
「やきもち」と「束縛」は別物
お付き合いにおいて初期の段階では、恋人が異性と仲良くしているのを見て嫉妬を感じることがあるでしょう。
自分の立場をその異性にとって変わられてしまうのではないか、という「交換の可能性」によって不安がかきたてられ、異性に対して敵意識が芽生えるからです。
しかし確固たる信頼関係が築かれれば、不安がなくなり嫉妬を感じなくなります。
ただ、嫉妬しないからといって、「おもしろくない」と思う気持ちが完全に消滅するわけではありません。
人によっては、やっぱり「おもしろくない」と感じてしまうことはあるでしょう。
このような気持ちが「やきもち」であり、思うに留まらず相手の言動に制限をかけようとするのが「束縛」です。
どこまでを「愛情」と捉えるかはカップル次第なので、束縛を愛情と感じる者同士ならバランスが取れるかもしれません。
でも、一般的にみて束縛は二人の関係を破綻に導きかねない、非常に危険をはらんだ行為なのです。
信頼関係の基盤にあるもの
円満なカップルに多くみられるのは、「カップルアイデンティティの確立」です。
カップルアイデンティティとは、常に二人目線で物事を捉え、二人にとっての最善とは何かを考えながら行動していく意識を言います。
相手の支えとなるよう自分の能力を存分に発揮し、二人が幸福になれることを目標として行動する。
すると「優しさ」「気づかい」「思いやり」が、二人を強く結びつけるのです。
やがて
「この人と一緒にいれば、とても幸せでいられる」
という安心感を生むのですね。
安心感は、その関係を特別で深いものにしてくれます。
このような深い信頼に彩られたカップルは、恋人が誰と交流しようとも不安を感じることがありません。
むしろ視野を広げるため、他人に対して開かれた関係を築けようになります。
束縛関係の基盤にあるもの
では、なぜ束縛してしまうのでしょうか。
束縛をする人の多くは、映画に登場する明美のように自己評価が低く依存性が高いのです。
自分に自信がないせいで、相手がずっと自分と一緒にいてくれると思えないんですね。
だから、束縛して相手をつなぎとめようとする…。
そもそも束縛は、誰のための行為なのでしょうか。
そう、「不安になりたくない」と思う自分のための行為です。
束縛は、
「恋人は、自分に対して常に献身的で盲目的でいてくれるはずだ」
という、ひとりよがりな理想から始まります。
束縛する人は相手がどう思うかより、自分の理想のほうが重要なのです。
さらに
「私のことを好きなら、私の理想もわかってくれるはずよね?」
とばかりに、自分の感情や思いだけで完結した世界に相手を引き込もうとします。
相手が自分に従うかどうかで、愛情を試そうとする。それは親にかまってほしくて、わざといたずらする子どもと同じ。
そこにあるのは「相手への愛情」ではなく、ゆがんだ「自己愛」なのです。
まとめ
束縛というのは「自己愛」から生まれていることを、ご理解いただけましたでしょうか。
ただの独占欲を愛情と履き違えても、そこに絆は築けません。むしろお互いの首をしめ、息苦しい関係になっていくだけです。
不安になりたくない自分ばかりを見て、気持ちのベクトルが相手に向いてないと、二人の間に愛情を育むことは難しくなってしまいます。
規制しあうのではなく、受け入れあうこと。それが強い愛を育てるのです。
(※2016年10月13日 10:30 公開記事)