数々のWEBメディアで恋愛コラムを執筆し、恋に悩める女性たちを救済してきた恋愛マイスター・ひとみしょう。長年の経験から培った独自の恋愛論で男心を解説します! 出会い、交際、別れ、結婚…などにまつわる“男の本音”をこっそり教えましょう。
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恋愛マイスター・ひとみしょうの男子学入門56
彼氏がいないから淋しいという人は、まだ救いようがあります。彼氏ができれば、もしかしたら淋しさから逃れられるかもしれないからです。
彼氏とケンカしていて淋しいという人も、救いがありますよね。仲直りしたら淋しさが消えてくれるどころか、家族になり、「チーム」として充実した毎日を送ることができるかもしれないから。
でも、彼氏がいて、その彼氏と仲が悪いわけでもないけれど、なぜか漠然と淋しい人は大変です。そういう人は、誰と一緒にいようと、何をしていようと、どこに行こうと、とにかく漠然とした不快な淋しさがついてくるから。
さて、今回は、そのような漠然とした淋しさの原因と、その解消法について、一緒に見ていきたいと思います。
漠然とした淋しさの正体とは?
ある人は、漠然とした淋しさの正体とは「隠すこと」だと言います。つまり、彼氏がいてもなぜか漠然とした淋しさを抱いているという事実を彼氏に隠すから、あなたは漠然と淋しいのだ、と言います。
あるいは、いわゆる自分(の適職や生き方)を探している人の中には、そういうものを探しているという事実を他人に知られるのが恥ずかしくて、ひそかに探している人がいますね。彼氏が家に来たら、自己啓発の本を押し入れに隠しちゃうような人。
そういう人は、本当は、自分探しをしていること自体が恥ずかしいのではなく、自分探しをしている自分を隠してしまう自分のことを恥ずかしいと思っているのです。で、恥ずかしいからそういう自分を隠す――これこそが、漠然とした淋しさの正体なのです。
漠然とした淋しさを消す方法とは?
隠すという行為そのものが、漠然とした淋しさの原因なのだとすれば、漠然とした淋しさを消す方法は簡単ですよね?
隠さなければいいのです。
たとえば彼氏に「わたしさぁ、あなたがいてもなぜか漠然と淋しいんだよね」と伝えたとします。そうすれば、彼は「なにがそんなに淋しいの?パッと焼肉でも食べに行って寝よ!」と言ってくれるかもしれないでしょう?そしたら「まあまあ」救われた気分になるでしょう?
それでも救われた気分にならない人は、わりと重症だと思います。どう重症かと言えば、常に心の中で過去と対話をしているという意味において重症です。
そういう人は、今、目の前にいる彼を見ているようで、じつは見ていないんですね。自分にとって「消したい過去」に心がつながれてしまっていて、それと常に対話しているのです。
だから「なぜか漠然と」淋しいんですね。過去とはすなわち記憶で、人の記憶なんてあいまいなもの(思い違いを多分に含んでいるもの)です。そういうあいまいなものと対話をする、つまり実態のないものと対話していたら、そりゃあ「なぜか」「漠然と」としか言い表しようのない淋しさに心を支配されますよね。
ということは、そのような人は、今この瞬間を感じることができれば、救われる可能性があります。要は、心を過去のある1点から解放してあげるといいのです。
今この瞬間とは、常に変化しているから言語化できない瞬間、結局のところ感じるしかない時制なので、とにかく五感を使ってなにかを感じることに意識的になるとわりと救われやすいでしょう。たとえば、花鳥風月を愛でる、でもいいんです。
淋しさの正体を説いた「ある人」とは?
ネットの恋愛コラム業界では、女性の読者は自分が知らないものに拒否反応を起こす、と、言われています。なので、最後まで読んでいただきたかったため、「ある人」としか書きませんでしたが、このある人とは、デンマークの哲学者であるキルケゴールです。今から150~200年ほど前の人ですね。
彼は、親とうまくいかず、親子問題に葛藤し、それを哲学した最初の人でした。また、いわゆる引きこもりを哲学した最初の人です。世間となじめない、なじめなさを哲学した最初の人と言えます。
彼氏がいるのに(彼と仲がいいのに)なぜか漠然と淋しい人や、自分探しをしているから(けど)淋しい人にとって、キルケゴール哲学は、かなり参考になります。
が、いかんせん哲学なので、本を読んでもむずかしいと感じる人が多いと思います。だから、こうやってかみ砕いてお届けしました。
キルケゴールは、なぜか漠然と淋しい人に向けて、ここにご紹介したことを含め多くのことを書き残しています。リクエストがあれば、あらためてキルケゴール哲学を簡単にご紹介しますので、ご希望の方はその旨をお知らせくださいね。
※毎週木曜日更新