広瀬すずさん主演で実写映画化が決定した、人気少女漫画『ちはやふる』。
かるたに青春をかける女の子の夢と恋を描き、競技かるたブームの火付け役となったこの作品を、手に取ったことがある人も多いのではないでしょうか。
三十一文字の恋ものがたり
百人一首に代表される「和歌」には、宮中で繰り広げられる雅な恋を歌い上げたものが数多く収録されています。
言葉は多少違えど、甘く切ない想いは今も昔も同じ。それが三十一文字という短い文章の中に凝縮されているとあれば、その情熱もぐっと胸に迫り来るものがあります。
とはいえ、当時の恋愛事情は現代とはだいぶ異なるようで。
源氏物語では美しく表現されていますが、そこには現代では考えられない恋愛観が…。優美な衣の下に隠された野性的な平安の恋を、ちょっと覗いてみましょう。
意外とエロい百人一首
『ちはやふる』では爽やかに描かれる和歌ですが、大人目線で読むと意外とドロドロしていますよね。
なかでも、
「逢ひ見ての 後の心に くらぶれば昔は物を 思はざりけり」(藤原敦忠)
などに出て来る「逢ひ見て」という表現は、エッチを表しているそうです。
つまり、この歌の内容を平たく言うと、『一度抱いたらスッゲー好きになっちゃった!』といったところ。
どうでしょう、この直接的な表現!それだけ、当時は肌を合わせるということが重視されていたようです。
のぞき・不法侵入…エグい出会い
当時、貴族の女性はめったに外に出ることはなく、そもそも他人に顔を見せること自体がタブー。ですから、男を引っかけに行くというわけにはいかず、ただただ家で待つのみでした。
主な出会いは、侍従による口コミから始まります。
「あそこの家に美しい姫君がいる」という噂を聞けば、男性たちは家の周りをウロウロ…何とかして姫君の姿を拝もうと、覗き見を繰り返します。
これが源氏物語で語られる『御簾越しの恋』の実態。今ならただのストーカー!?
連日にわたり恋文を送りつけ、自分の存在をアピール…って山本耕史さんみたいだし。
さておき、そこでまんざらでもない姫君は、和歌を送り返したりして恋がスタートするのです。
そして、夜になると男性がこっそり侵入してきて、御簾越しに会話。やがて御簾など乗り越えて姫君の褥(しとね)に入り込みます。
中には家の者を手なづけて、その手引きで忍び込む人もいたとか。
現代で言うならば、SNSで知り合い、初対面でエッチみたいなことが、当時はザラだったようです。
ヤッてから決める…驚きの婚姻制度
肌を合わせればたいていのことはわかる、と言いますが、それを地で行ったのが平安時代。
前述の藤原敦忠のように、一度ヤッてみて「惚れたー!」となれば、3日間連続で通い続けます。こうなると、晴れて結婚と認められたようです。
確かに「一度寝たら冷めた」という話は現代でも聞きますから、3日も連続で寝たいと思う女性なら、相当肌が合う…というか、惚れるに値する魅力があったということなのでしょう。
平安の失恋は「突然音信不通」
とはいえ、婚姻届もなく、そもそも一夫一婦制ではなかった時代。飽きたら他の女性に乗り換える、なんてことも簡単にできました。
もちろん面倒な別れ話なんてなく、ただその女性の家に行かなくなるだけ。
ぱったりと来なくなった男性を想い、嫉妬や未練を詠んだ和歌もたくさん残っていることを思えば、そんなのは日常茶飯事だったと思われます。
それを食い止めるため、女性は美しさを磨き、香を炊き、和歌や楽器の腕を磨き続けました。また、これは想像ですが、殿方の心をつかんで離さないため、ベッドでのテクニックも磨いていたかもしれません。
このあたりの“好きな人のために頑張る乙女心”も、現代と変わりありませんね。
しかし、それでも愛しい人が寄り付かなくなったなら、「次行け、次!」とばかりに次の出会いを待つようなしたたかさもあったのではないでしょうか。
いわゆる『失恋には、時間薬と恋薬』ってやつ、と言いますか。
恋する気持ちは今も昔も同じ。
男女を取り巻く環境も恋愛観も、現代とは明らかに違いますが、私たちも平安女性のドライさにほんの少し倣って
「恋愛はこうでなきゃいけない」
という思い込みを外せたら、もっと奔放に恋を楽しめるようになるのかもしれません。
(※2015年08月30日 16:30 公開記事)