誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか? 雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。
(ろり/20代後半/女性)
他人の恋愛にすぐに難癖をつけてしまうことで悩んでいます。
会社の1つ年下の後輩が、彼氏ができたと報告してきました。相手は彼女の同期の男の子で、周りの評判もよく私も好印象を持っていた人でした。「良さそうな人だよね、うまくいくといいね。応援してるよ!」と返事しましたが、本当はすぐに別れてしまえばいいのにと思っていました。お互い前の恋人と別れてから1ヶ月以内だし、どうせ寂しいだけでしょ? そんなに好き合ってないじゃん? と心の奥では2人を否定していました。
それから後輩は、花火大会デートにどんな浴衣を着ていこうかとか、沖縄に旅行するとか、うれしそうに交際の話をしてくれました(わたしから積極的に聞いていたところもあります)。その話をわたしはニコニコ聞いたし、ときには相談にものりました。実家暮しで親が厳しいといっていた後輩が彼氏の家にお泊りするたびに母親に怒られて滅入るというから「きちんと彼との将来を考えているなら、彼氏を親に嫌わせてはだめ。彼のためにも2人のためにも親には連絡いれるべきだし、安心させるためにも紹介してみたら?」とアドバイスをして、確かにそうですね!と、その後本当に紹介して家族と彼との関係も良好になり、感謝されました。これは本心のアドバイスでした。
でも、2人がケンカしたと聞くと、胸が躍りわくわくします。うまくいっていないことがとにかくうれしいのです。やった! 別れろ! 別れろ! と脳内で大興奮しながら「彼氏にこんなひどいこと言われて~」とめげる後輩を慰めます。この感情がいったい何なのかよくわかりません。
わたしは結婚しているし、結婚生活もうまくいっているほうだと思います。でも他人の恋愛が成就して幸せになることが気に入らないのです。嫉妬なんでしょうか。
他にも、先輩(47歳独身女性)に「とてもかっこよくてモテる恋人がいるけど、遠距離で年に1回会うか会わないか」と聞くと、「へえ~さびしいですねぇ」と言う一方で、それって本当に付き合ってるの? っていうかそもそもそんな人実在するの? 中年女がひとりだって思われたくないから見栄張ってんじゃないの? と真っ先に考えてしまいます。話を聞いていくと、本当に実在するし、恋人関係っぽいことはわかったのですが、心の中で、なーんだ妄想じゃなかったのかーと残念がっている自分がいました。
それから遠距離の彼への誕生日プレゼントを相談され、真剣に考えて悩み一緒に選びました。まじめに良い物をあげたかったのです。なのにプレゼントをすごく喜んでくれたと聞くと、あーあ……と悔しさがありました。
友人が付き合って1ヶ月の人と結婚するというと、おめでとうよりも先に、相手のことよく知りもしないで無責任に突っ走ってどうせ失敗するでしょ? と思うし、婚活パーティーで失敗した友人の話が面白くてたまりません。
不幸になってほしいとは思いません、ただ他人の恋愛がうまくいかないとテンションが上がり喜んでしまいます。人としてあるべき姿ではないような気がして自分に落ち込んでしまいます。
(※投稿内容を一部、読みやすいように編集させていただきました。)
はい、こんな面白い話を私だけが読んでいるのはもったいないのでこちらで共有させていただくことにしました。ドロドロした感情にふさわしい、ダークチョコレートで作ったホットチョコレートでもお出ししましょうか。あの甘くなくてカカオの味だけめっちゃするやつ……。砂糖入れちゃダメですよ、そのまま苦さを飲み干してくださいね。
まず面白いのは、外から見たらろりさんはめっちゃいい人ってことです。後輩にもちゃんと筋の通ったアドバイスをしているし、それもしくじらせようと思わず真剣にいいアドバイスをしてるんですよね。先輩の彼へのプレゼントも、選ぶことになったら「まじめに良い物をあげたい」とガチで選んでる。実際感謝もされてて、めっちゃいい人です。
あくまでも私の個人的な感覚ですが、友達の恋愛がうまくいってて「よかったねー」と温かい気持ちで思うことはあっても、「友達の恋愛がうまくいった! 最高! パーティーで祝おう!」みたいなテンションの上がり方は、あんまりしないもんじゃないでしょうか。「よかったね、おめでとう」とは本気で思っていても、それと「テンション上がる」は別な気がします。逆に他人の恋愛でそこまでテンション上がられても怖くないですか? 私だったら、自分の恋愛がうまくいって喜んでもらえるのはすごい嬉しいですけど、あまりにも友達のテンション上がりすぎてたら「いや、これからもうまくいくとは限らないし、恋愛に多少のトラブルはつきものだし……」って逆に不安になりそうです。
人の恋愛がうまくいってるのにに比べて、人の恋愛がうまくいってないときは「今、目の前で事件が起きてる!」感があって、スリリングだし、人間の本気がそこに見え隠れするし、結末読めないしでそりゃあテンション上がっても仕方ないと思うんですよね。別に不幸を願っているわけではなくても、「恋愛が順調」っていう状態は海に例えれば凪の状態で、いいことだけど事件はなくて、「恋愛がヤバい」っていう状態は大シケの状態ですから、「ヤバい……この船、どうなるんや……」ってテンションが上がるのも致し方なしという気がします。本に例えるなら、幸せな人の書いた特に起伏のない幸せエッセイと、最初に殺人が起きて犯人は誰だ!? って状態で読み始めるミステリーぐらいの差があると思います。
人の不幸を喜ぶような人間でいたくはないですよね。ろりさんも「不幸になってほしいとは思いません」と書いてらっしゃいます。なのに不幸話のほうにテンションが上がってしまう。
「幸せ」って、案外バリエーションが少ないものなんですよね。「好きになった」「付き合った」「結婚した」とかで、それも全部同じじゃなくてそれぞれに全然違う「幸せ」であるはずなんですが、面白いか面白くないかと言われると、「幸せが憎い」という意味ではなく、単純にニュースとして面白さはないですよね。よっぽど親しい友達ならじーんと来たりもするでしょうけど、それも「面白い」とは違います。
すっごい極端なこと言いますけど、「幸せ」って別に自分のでも他人のでも、面白くはないんですよ。「幸せ~」って思うの最高ですけど、面白いかって言われると別に面白くない。恋愛中の二人の間で面白いことがあっても、それは外部から見れば単なるのろけであって、やっぱり面白い域に達するには相当のことがなければ無理だし、のろけを面白さに変える訓練をすべきかというと、別にしなくていいと思います。
幸せが面白くないのと同じように、「うまくいってない」というちょっとした不幸が面白いというのも、あると思うんですよね。ろりさんがガチで人の不幸にテンション上がりまくる人だったらちょっとヤバいと思いますけど、たぶんろりさんは人の幸せに「あーあ……」と思いつつも、後輩が恋愛うまくいかなくて泣いてたら真剣になぐさめちゃうでしょうし、先輩がふられて傷ついてたら「飲むならつきあいますよ」ぐらい言いそうです。つまり、本気でものすごい不幸を望んでいるわけではなさそうに感じるのです。ちょっと何か面白い事件が起こればいいな~程度の淡い期待で、それがないとガッカリする、くらいのものではないでしょうか。
ろりさんのその感覚は、芸能人の熱愛報道を見ているときの庶民の感覚と同じだと思います。熱愛発覚して「うまくいってほしい!」と思うときもありますが、「え~チャラついた感じだしすぐ別れそう~」って思ってしまうときもあります。どっちも自分にはまったく関係ないのに、人の幸せや不幸をエンタメとして享受してしまいます。
これはこれでヤバい現象だと思うのですが、最低限、芸能人だろうが自分といくら関係のない人であろうが、「相手も人である」ということを忘れずにいるということが大事だと思うんですよね。相手が人であると思っていれば、そんなに簡単に暴言は吐けない。心の中でどんなにどす黒いことを思っても、です。
ろりさんの今の状態は、「人の恋愛がうまくいってるの面白くない」と思いつつも、相手が人であることをわかっているから、言われて傷つくであろうことは言わないし、節度も分別もあり、善意まであります。心の中にほんのわずかな悪意があるくらい、どうってことありません。節度や分別があることのほうがずっと大事だし、悪意と混じって存在している善意のほうをちゃんと出せているなんて、素晴らしいことです。
偽善者という言葉がありますが、私は偽善でも善行をするのはいいことだと思います。された側にはメリットがあるわけですから。面白いことが起きないかな、と望んでしまうのは、なんかこう、人間の業として仕方のない部分だと割り切って、必要以上に落ち込まないでほしいです。こういう話ができること自体、ろりさん自体が面白い人ですし、だから先輩にも後輩にも慕われて相談されたりしているんだろうと思います。せっかく裏表のある、豊かで面白い人に生まれついたのですから、罪悪感を持たず、そんな自分の裏表の感情を他人事のように「人間って変なもんだなー」って観察して、ストレスが溜まったら発◯小◯などを見て発散させてください。
悪意なんて、抱かずにいられればそれに越したことはないですが、悪意を抱いたことがあれば、他人から悪意を向けられたときにもその心理がわかりますし、強烈な悪意を催す出来事に遭遇しても、これまでの積み重ねで自分をなだめる方法がわかります。悪意を持っているということは、悪意に対するワクチンをすでに打っている状態と同じです。だから、悪いことばかりではないと考えてくださいね。
みなさまの愚痴を、雨宮まみが「穴の底」にてお待ちしております。長文大歓迎!
恋愛相手の愚痴も、職場環境にまつわる愚痴も、誰にも言えない愚痴も、「スポーツジムのおじさんの汗がキモイ…」みたいなしょうもない愚痴も、なんでもござれ。大なり小なり吐き出して気を楽にしませんか?
「どうしたらいいでしょう?」のような相談は受け付けておりません。ごめんなさい。
「穴の底でお待ちしています」が、ついに本になりました!
鮮烈なデビュー作『女子をこじらせて』から5年。 対談集『だって、女子だもん!!』から4年。 雨宮まみが、今度は、崖っぷちに立つ女子たちの愚痴を真っ向から受け止めます。
彼氏ができないのは「努力が足りないから」だと言われ続け、「努力っていったい何なんだよ !?!?」と吐き出す20代後半の女性。 家事も子育て、さらには仕事も完璧にこなしているのに、夫から愛されない。「もう頑張れない」とつぶやく30代後半の女性。 小沢健二似の美しい元彼との恋愛でズタズタになっても、やっぱり「美しい人」に惹かれてしまう20代前半の女性。
努力、恋愛、見た目、生き方──、20代、30代の女子たちが抱える人生の愚痴15編。
雨宮さんより一言:
ただの悩みなら自分で解決してるし、人に解決してもらえるようなことなら最初から悩まないよなぁ、という思いから始まったのが、この「穴の底でお待ちしています」という、ただ人の愚痴を聞く連載でした。そこから生まれたのがこの本です。
始めてみると、人の愚痴には、本当に解決しづらい問題や、社会の構図まで含まれているよううなところがあって、しかもみんなただ愚痴っているわけじゃなくて、がんばりにがんばり抜いた末に愚痴っていたりして、だんだん「これって世の中のほうが間違ってるんじゃないですか?」という気持ちになってくることもありました。
正しい人が救われるとは限らない世の中だからこそ、読んでほしい本です。
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