誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか? 雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。
(喪ブス/30代前半/女性)
雨宮さん、こんにちは。
私は30代で女なのにファッションに興味がいまいち持てず、正しい服装がわかりません。
若い頃、ファッション雑誌を買ってみたものの当たり前ですが雑誌に載ってるのは可愛い子やきれいな子ばかりで躊躇してしまい、出てくる服も高い服ばかりでどこをどう見ればいいのかわからずそのまま買うのを止めてしまいました。
私はブスなので、ブスだからこそ服装に気を遣わなければいけないとは思うのですが、上手く言えないんですけどブスは何をやってもブスなんじゃないかと諦めてしまう気持ちがあるんです。
アク○ーズとか、ヲタ女がよく着る痛いブランドとして有名ですけど、それでも可愛い服を着よう、おしゃれをしなきゃっていう気持ちがあるので私よりマシだと思います。
私は無難な格好に、よく街にいる格好に見えるかなと思い、ユニクロやイオンの服を着るのですが、ネット上ではそういう服は「本当にヤバイ勢」の服として紹介されていて、ファッションに興味がわかない自分のせいだとはわかっているのですが、なんだかもやもやしてしまいました。
こういう俯瞰視点の分析を見ると私のようなブスにとって正しい服装が何なのかわからなくなります。あーあ、ブス専用の雑誌出てほしいなーってのが本音です。
(※投稿内容を一部、読みやすいように編集させていただきました。)
服の話ですから、それにまつわるカクテルでもお出ししましょうか。シルクストッキングというテキーラベースのカクテルです。甘いので、強いわりに飲みやすいんですよ。まずはこれを優雅に飲み干していただいて、そこから始めましょうか。
人に嘲笑されるのって、怖いことですよね。「あんな顔であんな服着てるの?」「あんなトシであんな服着てるの?」って言われることをまったくおそれない人のほうが、多分少ないでしょう。けっこう派手な服をいいトシして着ている私でも「さすがにこれは……」と思ってしまうことはあります。
でも、すごい呼びづらいペンネームですけど、喪ブスさんは自分が何を着たいかというよりは、少しでも周りの人に不快感を与えないようにしたい、というところが出発点なんですよね。自分が何を着たいか、とか、おしゃれをしたい、とかじゃなくて、そもそもファッションにあまり興味がないんだけど、自分に合った服装で、違和感や変な印象を与えない状態になりたいということだと解釈しております。
若い頃に雑誌を買ったことがある、ということですが、今の雑誌にはユニクロなどのファストファッションだけで垢抜けて見えるコーディネートや、それこそ普通に見えて周りから浮かない小ぎれいな安い服の特集などもバンバン載ってます。モード系の雑誌にはそりゃ高い服が載ってますけど、この不況時代に即した雑誌がちゃんとあります。
汚れてなくて清潔で、カジュアルすぎない服装であれば、仕事の場でも大丈夫でしょうし、相手に不快感を与えることはまずないと思います。ユニクロでも全然いいはずというか、私もユニクロ着てますが(商品名もカタログもだいたい把握してるほど詳しいです)、どちらかというときちんと見せたいときに着ることのほうが多いです。シンプルな服のほうがきちんと見えるんですよね……。
で、気になるところなんですが、「私はブスなので、ブスだからこそ服装に気を遣わなければいけないとは思うのですが、上手く言えないんですけどブスは何をやってもブスなんじゃないかと諦めてしまう気持ちがあるんです」。ここです。これ、呪縛ですよね。私も20代の頃はこの呪いにかかってました。ありとあらゆるタイプの服を着てみても、結局、服は良くても、全然自分自身はアガって見えないじゃん、と、それまで買った服が全部無駄だったような気がして落ち込んだりもしてました。ギャル服に走ってみたり、コンサバに行ってみたり、どれもなんかしっくり来ないし、変でした。なんとかちゃんと見えるように、と、飢えてでもいるかのように服を買ってました。
でも、ブスだからこそ服装に気を遣わなければなんて思う必要もないし、ブスは何をやってもブスなんてこともないです。そんなの全部思い込みだし、嘘です。謙虚すぎるがゆえに自分の可能性を封じ込めてるだけです。「一週間がんばってみたけど何も変わらなかった」「一ヶ月いろんな着こなしを試してみたけど大差ないように思える」。そうかもしれません。でも、変わってるんですよ。自分ではそう感じてなくても、これまでの服にネックレスひとつ足すだけでも変わるし、バッグ変えるだけでも変わるし、周りから見れば変わっているんです。それに、経験値を積んでるんです。その間に。
特別おしゃれな人を目指したいわけじゃないなら、自分にとって着心地が良くて、落ち着く服で、それなりにきちんと見える服という路線で考えてみてはどうでしょうか。そういう服は、みんな欲しいので世の中にたくさんあります。そういう服を着ていて、感じ悪くなることはまずないと思いますし、場に溶け込むことができる服を着ていれば、居心地は今よりずっと良くなるのではないでしょうか。
喪ブスさんは自分をブスだブスだとおっしゃいますが、服は、きれいな人のためだけに作られているわけではありません。自分なりに「このへんかな?」と思う服を探って、着てみてはどうでしょうか。世間にどう思われるかというのはいったん置いといて、店員さんやお友達に相談してどういうのがいいか聞いてみるのもいいと思います。服の世界は、あなたを拒んでません。洋服屋さんは、美人だけを相手に商売なんてしてません。
服やファッションが怖い、ということと、世間が服を着た自分をどう見てくるのかが怖い、ということが大きな2つの問題だと思いますが、これ、乗り越えられますよ。必ず。乗り越えなくてもいいものかもしれませんが、大きなように見えて実はものすごく小さな段差なので、私は早くこの段差を乗り越えて、ラクになって欲しいなと思うんです。こんなことで悩んでるなんて、もったいないじゃないですか。わかってますよ、本人にとってはどれだけ深刻な問題かっていうことは。でも、「何をやってもブス」っていう諦め視点で服を選びに行ったら、そりゃ楽しくもなんともないですよ。
私は自分の容姿を好きになるのに、たぶん30年近くかかってます。40歳になって初めて好きだと思えるようになりました。「何やってもブス」と思っていた時期もありましたが、人は行動や表情で変わる部分もあるし、着ているものや髪型で良く見えたり悪く見えたりもするということも、失敗を繰り返して理解してきました。人は変わります。内面を変えるより、着替えれば変わる外見を変えるのは、ずっとたやすいことです。でも、そのためにはまずその「何をやってもブス」と思う内面の思い込みを捨ててください。
人には可能性がありますし、人生は長いです。何をやってもブスと思いながら生きるには、長すぎます。別にブスのまま生きていってもなんの問題もありませんし、それで楽しく生きてる人だっていっぱいいます。
でも、ブスのまま生きていくことを考えてテンション下がるようでしたら、そこそこにはなれるんじゃないか、もうちょっといい感じにはできるんじゃないか、ということを信じて、俯瞰視点のネットの適当な記事とかのことはもう忘れてください。世の中の全員が全員、そういう風に思っているわけじゃありません。見つめるべきは自分です。
人は変わります。変わりたい方向に。喪ブスさんの望んでいることは、すごくささやかなことです。これは、年内に叶うぐらいの望みです。ブスで何が悪いんですか? ブスっていう言葉、私も数え切れないくらい投げつけられてきてます。最近はそれに「ババア」が加わってます。自分の顔に生まれただけのことでなんか言われて、誰でもトシ取るのに「ババア」とか言われて、そんなのバカみたいじゃないですか? 私はこんなしょうもないゲームには絶対に付き合う気はありません。しんどいなー、っていうときはカレー沢薫先生のエッセイでも読んでゲラゲラ笑って、元気なときは服でも見に行ってみてください。
みなさまの愚痴を、雨宮まみが「穴の底」にてお待ちしております。長文大歓迎!
恋愛相手の愚痴も、職場環境にまつわる愚痴も、誰にも言えない愚痴も、「スポーツジムのおじさんの汗がキモイ…」みたいなしょうもない愚痴も、なんでもござれ。大なり小なり吐き出して気を楽にしませんか?
「どうしたらいいでしょう?」のような相談は受け付けておりません。ごめんなさい。
「穴の底でお待ちしています」が、ついに本になりました!
鮮烈なデビュー作『女子をこじらせて』から5年。 対談集『だって、女子だもん!!』から4年。 雨宮まみが、今度は、崖っぷちに立つ女子たちの愚痴を真っ向から受け止めます。
彼氏ができないのは「努力が足りないから」だと言われ続け、「努力っていったい何なんだよ !?!?」と吐き出す20代後半の女性。 家事も子育て、さらには仕事も完璧にこなしているのに、夫から愛されない。「もう頑張れない」とつぶやく30代後半の女性。 小沢健二似の美しい元彼との恋愛でズタズタになっても、やっぱり「美しい人」に惹かれてしまう20代前半の女性。
努力、恋愛、見た目、生き方──、20代、30代の女子たちが抱える人生の愚痴15編。
雨宮さんより一言:
ただの悩みなら自分で解決してるし、人に解決してもらえるようなことなら最初から悩まないよなぁ、という思いから始まったのが、この「穴の底でお待ちしています」という、ただ人の愚痴を聞く連載でした。そこから生まれたのがこの本です。
始めてみると、人の愚痴には、本当に解決しづらい問題や、社会の構図まで含まれているよううなところがあって、しかもみんなただ愚痴っているわけじゃなくて、がんばりにがんばり抜いた末に愚痴っていたりして、だんだん「これって世の中のほうが間違ってるんじゃないですか?」という気持ちになってくることもありました。
正しい人が救われるとは限らない世の中だからこそ、読んでほしい本です。
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