2014.07.17 10:15

「好きで選んだ道なのに楽しくない」 雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第6回

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穴の底でお待ちしています

誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか? 雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。


(有酸素/女性/20代前半)
 私は大学4年生で、デザインを学んでいます。 子供のころから絵を描くことがずっと好きで選んだ道ですが、最近は制作することがすごく辛いです。
 楽しさを完全に失ったわけではありませんが、課題を先生に見せてもダメ出しばかりが続いたり、課題プレゼンの際に「あなたは話が下手だから聞いていられない」「もっと上手く話せないのか」といった指摘を受け、作品の部分でも人間性の部分でも自信をなくしてしまっているのが現状です。その状況が「制作が辛い」という状態をも引き起こしているのだと私は考えています。
 努力を怠ってきたわけではないですが、きっとその方向性が間違っているのです。作品を通して人から認められたい、かっこいい作品を作りたいといった欲望が制作と向き合うこと、楽しむことに勝っているからよい作品、制作ができないのです。わかっている、のに実行できない。 自分の持つ劣等感や自尊心によって作品がどんどん切れ味の無いものになることが本当に悔しいです。そんなものから解放されたい、でもどうすればいいのかもわからない。 本当は他の誰よりも結果がほしいんです。でもその前に作ることを楽しむ心を少しでも取り戻したいです。


(雑草子/女性/20代前半)
 漫画家を目指しているけど、何を描けば良いのかわかりません。小さい頃から漫画家に憧れていました。高校生の頃、友達に言えない悩みをマンガにぶつけて少し賞をいただき、高校を卒業した次の年、同じく悩みをぶつけたマンガでデビュー……まではよかったのですが、それ以降何を描けば良いのかわからなくなりました。
 デビューできたのが嬉しくて、読者に喜んでもらえる作品を描きたいと意気込みすぎたせいもあるかもしれないけれど、悩むのがつらいから、悩むのをやめて生きることにしたせいかもしれません。いちいち生きるか死ぬかまで悩まないようになり、生きるのがとても楽になりましたが、マンガは前のように描けなくなって….…でも他に歩む道もないのでマンガ家になるしかない、描きたいという気持ちはあるので物語の作り方などを勉強している日々です。読者に喜んでもらう為、と工夫したつもりの作品も没が続いてめげそうです。
 自分で選んで、自分で頑張って、誰にも頼まれてないんだから、描くのなんて別にやめてもいいんです。でも描きたいのは私のわがままで、他の仕事なんて考えられなくて、でも何を描けば良いのかわからなくて……でもでもとすみません。
 言い訳とか愚痴とか他人にも言えなくて、頑張るしか無いので頑張るのですが、ちょっと時々とても将来が不安になります。今は親が生きているからなんとか生きていけているけれど……。
 自分が何をしているのか、何の為に頑張っているのか、わからなくなる時があります。没が続くと本当にそうなります。自分の中途半端さが本当につらいです。担当さんと相性が合わないだけだとか色々考えるけどもう自分が面白いマンガを描けるわけなかったんだとか落ち込みます。マンガひとすじで生きて来たので恋愛経験もなく茫然としている心をいつも誤摩化して前を向いています。宝塚をみて、ふと、ああ、マンガ界にも宝塚みたいな教育システムがあればいいのに!!とか思っています。 夢の世界は厳しいです。

(※投稿内容を一部、読みやすいように編集させていただきました。)

いわゆる「もの作り」系の愚痴が二通寄せられましたので、ちょっと文壇バーのような気分で今回はお送りしたいと思います。ボトル入ってますか? 入ってないなら先輩のボトルから水割りお作りいたしますね。

 お二人がしんどいと感じられていることは、それぞれ違う部分もありますが、共通している部分もありますよね。「ダメ出しをされて自信をなくし、好きで選んだ道なのに楽しくなくなってしまっている」「認められたい、という思いから、本来の自分の表現ができなくなっている」というところは、お二人とも同じであるように思います。

 私も、デザインやマンガではありませんが、少々「作ること」をかじっている身ではありますので、その立場から少し言わせていただくと、「作ることが楽しい」と思えるのは、「いいものができた」と思えたときだけです。もちろん他の上手い人と比べたら下手だし、世の中にとっては何の意味もないものかもしれないけど、今の自分の中ではいちばん良いものができた、と思えたその一瞬だけで、その一瞬が過ぎれば、また「もうあれよりいいものは作れないかもしれない」と思い悩む日々が待っています。あとは、集中して他のことを忘れているときだけですかねぇ。それも、何も考えてない状態に近いので、「楽しい」というのとはちょっと違うように思います。

 ダメ出しをされることも、「認められたい」という気持ちと本来自分がやりたい表現の間で引き裂かれることも、たぶん活動を続けていかれる上では、ずっと、避けて通れないことです。先生や編集者にダメ出しをされなくなったとしても、「鑑賞者」からのダメ出しや批判は常について回ります。私には、お二人の先生や編集さんが「良い指導者」であるのかどうか判断ができませんが、少なくとも外野の素人がガヤガヤ無責任に何かを言うのとは違って、真剣に今後やっていくための手段を伝えようとしてくれているのではないかと思います。プレゼンに対するダメ出しは、「学校の外に出たときにちゃんと人に対して自分をアピールできる人間に育てたい」という気持ちではないか、と感じられます。ひどい人格否定などが入っていれば別ですが、説明が苦手なばかりにプレゼンに負ける人を先生はたくさん見てこられたでしょうから、プレゼンのコツを今のうちに掴んでおいてほしい、と思われているのではないでしょうか。

 「認められたい」=「みんなに評価される作品を作りたい」という方向に行くのか、「たとえ認められなくても、自分の世界を表現したい」という方向に行くのか、という二つの道があるように見えますが、自分の世界を追求していたらそれがすごすぎて人気者になってしまった人もいれば、評価される作品を目指して一時代を築いたものの、時代によって求められるものが変化してゆき、その変化に適応できずに行き詰まる人もいます。二つの道は違う道のようでいて、そんなに違わないのかもしれない、というのが私の個人的な感想です。「自分の世界」を、それが映える媒体に向かってプレゼンして世に出していく、という方法もあります。

 そして、有酸素さんの「自分の持つ劣等感や自尊心によって作品がどんどん切れ味の無いものになることが本当に悔しいです」というお言葉、雑草子さんの「悩むのがつらいから、悩むのをやめて生きることにしたせいかもしれません。いちいち生きるか死ぬかまで悩まないようになり、生きるのがとても楽になりましたが、マンガは前のように描けなくなって….…」というお言葉、両方とも「自分の作品が認められないのは、自分の内面に問題がある」と思ってらっしゃるようにお見受けいたします。

 ただ、おそらくお二人とも、デザインや漫画を「職業」としてやってゆかれたいとお考えなのですよね。内面を掘り下げてゆくこと、自分の中から出てくる表現を大切にすることは重要なことなのだと、知らないジャンルのことなりに想像いたしますが、それよりも、「職業」としてお考えなのであれば、まず考えることよりも、技術を身につけることが大事なのではないでしょうか。

 私は努力という言葉を信用してません。努力をして頑張れば結果が出るなんて思っていません。けれど、技術を磨くのは「訓練」です。訓練は、やれば上手くなります。純粋な手作業の訓練もそうですが、職業としてやっていく場合、「相手が求めているものを察知し、その中でどのように自分を出していくのか」ということも、訓練だと思います。純粋なアーティストであれば、誰が何を求めているかなど、気にしなくて良いと思うんですけどね。

 世の中には、「才能」というものがあると信じられています。私も、「才能」というものを感じることはあります。自分には才能がない、と絶望的な気持ちになったことも何度もあります。しかし、今となってはもう、「才能なんていうことにかまってる時間はない」という感じです。今から天才にはなれないことは間違いありません。追い越されても、絶対に敵わないなと感じるものを見ても、歩みを止めずに、生きてる間に自分がどこまで上手くなれるか、いいものを作ることができるのか挑戦し続けること以外に、自分の取り柄はないと思っています。ダメなものや失敗作ができてしまったとしても、手を動かし続けること、それだけが取り柄です。

 そして、必ず忘れないでほしいことがひとつあります。それは、たとえ表現ができなくても、そのことによってお二人の人としての価値がなくなるなんてことはない、ということです。表現に夢中になればなるほど、「デザインができない自分に価値はない」とか、「面白いマンガが描けない自分に価値はない」とか、極端な方向に思い詰めてしまいがちですが、人間の価値は「何ができるか」なんていうことでは決まりませんし、生きているだけで誰にでも価値はあるのです。何かをしたから、何か世の中に役立つことをしたから「生きる価値」が与えられる、ということではないんです。最初から誰にでも「生きる価値」はあるんです。

 作品が否定されることは、自分自身が否定されることではありません。そう思うのはとても難しいことですが、作品の評価=自分の評価だと思っていると、人によっては命が危ないです。作品は作品、自分は自分として、冷静に自分の作品を見つめることができれば、客観的に足りないものや、逆に良いところも見えてくるのではないかと思います。

 私は大学の先生に、「30歳まではなんでも好きにやってみなさい。ダメだったらそのときに、どうするか考えればいいですよ」と言われたことがあります。年齢で可能性を決めるような考え方はあまり好きではありませんが、お二人とも20代前半の頃の私とは違い、すでに自分のやりたいことを見つけ、それをやる場を見つけてらっしゃいます。今は、華々しい活躍をされている方の姿ばかりが目に飛び込んでくる時期だろうとも想像できます。けれど、やりたいことができる環境にいらっしゃるのであれば、自分の足元を見つめて、何ができるのかを考えながらとにかく歩くのをやめないことだけを、私はおすすめします。そして、歩くのが嫌になってやめてしまっても、そのことでお二人の価値は1ミリたりとも失われないことだけは、忘れないでほしいと思うのです。


みなさまの愚痴を、雨宮まみが「穴の底」にてお待ちしております。長文大歓迎!
恋愛相手の愚痴も、職場環境にまつわる愚痴も、誰にも言えない愚痴も、「スポーツジムのおじさんの汗がキモイ…」みたいなしょうもない愚痴も、なんでもござれ。大なり小なり吐き出して気を楽にしませんか?
「どうしたらいいでしょう?」のような相談は受け付けておりません。ごめんなさい。


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雨宮まみ
雨宮まみ(あまみやまみ)
ライター。アダルト雑誌の編集を経て、フリーライターに。女性の自意識との葛藤や生きづらさなどについて幅広く執筆。女性性とうまくつきあえなかった頃を描いた自伝的エッセイ『女子をこじらせて』出版後、「こじらせ女子」がブームとなる。他の著書に対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(KKベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)、『タカラヅカ・ハンドブック』
(新潮社)など。

「キレイになりたい!」と言えないあなたに。

『女の子よ銃を取れ』

他人の視線にビクビクしたくない、自分らしく堂々としていたい、かわいい、キレイと言われてみたい……そう思っていてもどうすればいいのかわからないし、「キレイ」への道が怖くてたまらない。
キラキラした「キレイになりたい」本を手に取ることすら怖いと感じるくらい、「キレイ」が重荷になっている人のための、自意識や他人の視線、自分の視線を解きほぐす本です。

雨宮さんより一言:
何をしても、何を買ってもうまくいかない、変われないしパッとしない……。そんな悩みは、本当は多くの人が持っています。それ以前に何をすれば、何を買えばいいのかもわからない人だってたくさんいます。この間まではわかっていたのに、急にわからなくなってしまった人も。そんなときに、自分を取り戻し、新しい自分を作り上げるヒントや、気持ちの持ち方の軸のようなものがあればいいなと思って書きました。落ち込んだときのおともにしていただけると嬉しいです。

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