第1・第3水曜日更新
作・みよろり
会社で仲の良い女子たちが、最近次々と結婚した。理恵もあかねもゴールインを決め、同期の女子で独身のままでいるのは私と園島由紀だけになった。
仕事に生きている由紀はいいとしても、私は仕事熱心なわけでもないのに、結婚どころか、男さえいない。後輩に混ざって合コンにも行くし、親戚が持って来るお見合い話にも乗っかってみる。それはそれで楽しい経験だけど、なかなかいい人には出会えない。
「麻美、今夜ご飯いかない?」
久しぶりに私をディナーに誘ってくれたのは、残念ながら男ではない。由紀だ。同期でありながら、仕事に身を捧げている由紀は、すでに役職を持っている。
「ええ、いいですよ、主任」「やめてよ、その呼び方」
由紀は、仕事熱心だからこそ美味しい店をたくさん知っている。終業後、接待で利用したというお洒落なイタリアンに私を連れて行ってくれた。
由紀は、グレーのジャケットにブランドもののスカーフを首に巻いた、いかにもキャリアウーマンらしい姿で、かっこよくワインを飲む。私が、好物のムール貝をフォークでつついていると、由紀はこんなことを言った。
「運命の赤い糸って信じる?」
現実主義者の由紀の口から「赤い糸」というフレーズが出るとは思ってもみなかったから、私はきょとんとした。
「意外かもしれないけど、私、信じてる」スカーフをほどきながら、悲しそうな声で由紀は話し続けた。「信じてたんだけど、先週、彼と別れたの」
驚いて、私はムール貝をテーブルに落としてしまった。由紀に男がいたとは。
「恋人、いたの?」「佐川さんと、半年付き合ってた」
今度はフォークも落としてしまった。由紀が、営業部の佐川さんと付き合っていたなんて、初耳だった。それに佐川さんは結婚していたはず。
「麻美も気をつけた方が良いよ。運命の赤い糸が、こんがらがって、自分の首を絞めることもあるから」由紀はワインをあおる。「首を絞めるって、不倫が、バレたってこと?」私は恐る恐る聞いた。
「ううん、それは違う。ずっと好きだったけど、付き合いだしたのは、佐川さんが離婚した後だった」「離婚したんだ…」「それに、最後まで指一本触れてくれなかった」由紀は深く溜め息を吐いた。「半年の間、私の気持ちばかりが先走って、空回り。そして、あっけなく捨てられた」私は落としたムール貝に手を伸ばしながら、フォローの言葉を探した。「きっと、離婚したばかりで、慎重になってたんじゃない?」
「どうだろう。ね、麻美。赤い糸って、どこに繋がってるんだと思う?」「そりゃ、恋人同士を結んでるんじゃないの?」
由紀は白い喉を見せつけるように、ふっと上を向いた。
「私ね、赤い糸って、天から垂らされてるような気がする」「空から?」「そう。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』みたいに」
天から下ろされた赤い糸を必死でよじ上っている由紀の姿が、私の脳裏に浮かんだ。
「上っても上っても、なかなか天に辿り着かない。それなのに、下からはたくさんの人が追いかけてくるの。上って来ないで、これは私の糸よ!」
進展のない佐川さんとの関係に、由紀はきっと悩んでいたのだ。そしてたぶん、佐川さんが他の人に優しく接しているのを、オフィスで見かけたりすると、由紀は叫びたくなったのだと思う。上ってこないで、これは私の糸よ!
「私がそんな風に心の中で叫んじゃったから、やっぱり糸は切れてしまった」
私は、由紀の言い分を、よく理解できた。
「ねぇねぇ、由紀。確かに、誰かと愛し合えるのは、天にも昇るように幸せなことだと思う。それに、みんなが幸せになっていく中で、焦る気持ちになるのもよく分かる」
でも私は、理解できた由紀の言い分を否定しなければならない。由紀もためにも、自分のためにも。
「だけど。『蜘蛛の糸』と違うのは、私たちは誰とも幸せを競い合ってないってこと。それと、たとえ赤い糸をたぐり寄せられなかったとしても、地獄になんて堕ちたりしないわ」
私はムール貝をフォークですくって、頬張った。
「地獄にこんな、美味しい物があるもんですか。地獄にこんな、分かり合える友達がいるもんですか。ここだってきっと、極楽よ」
私は由紀の飲んでいたワインを奪って、飲み干した。空のグラスを置くと、由紀はいつもの凛々しい笑顔を私に向けていた。
〈第20話「赤い糸」おわり〉
次回予告
第21話「イミテーション」 6月4日(水)更新
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