第1・第3水曜日更新
作・みよろり
東野めいこ様。
お久しぶりです、大場あかねです。大場龍助の娘の、あかねです。覚えていらっしゃるでしょうか? 突然の手紙にビックリされていることでしょう。ごめんなさい。
お元気にされていますか? 私は元気に高校へ通っています。めいこさんと初めて出会ったのが7歳の時でしたから、あれからもう10年が経ったのですね。月日が経つのは、ほんとに早い。でも、めいこさんとの日々は昨日のことのように覚えています。
私は今、懺悔するために手紙を書いているのです。めいこさんに懺悔するためです。
私がめいこさんに初めて出会ったあの日。父に連れられてめいこさんが私の家に現れた時、父はこう言いました。「お父さんのお友達のめいこさんだ」と。たった7歳の子どもでしたが、私にはその言葉が真実ではないとピンときたのです。めいこさんが父にとってただの「友達」ではなく、特別な「女性」であるとすぐに分かったのです。なぜなら父のあんなに嬉しそうな顔を見るのは、初めてだったからです。
父は無口で、静かな人です。あまり感情を表に出すような人ではありません。めいこさんの前ではどうだったかは知りませんが、少なくとも私の前ではずっとそうです。亡くなった母の分も、しっかりしなくちゃいけないというプレッシャーのせいなのかもしれません。人一倍、責任感の強い人ですから。
そんな父が、私には見せたことがないような、まるで甘えるような顔でめいこさんを紹介するので、私はすごく戸惑いました。なにか、父が父でなくなったような、父と私との関係をこわす恐ろしい者がやって来たような、そんな不安に襲われたのです。
その不安は、母への同情を生みました。私は母の記憶などほとんどありません。写真でしか知らないと言っても良いほどに、母のことなど覚えていないのです。それなのに私は、めいこさんが父と仲良く話していると、母が悲しむように感じました。
めいこさんが何度家に遊びに来ても、私は一度も笑いませんでしたね。口をきくことさえしませんでした。「照れているんだよ」と言う父の言葉を、「だってお母さんがかわいそう!」と私が強く否定した時の、父の、めいこさんの、あの言いようのない悲しい顔を今でも忘れることができません。言ってはいけないことを言ってしまったと、あの時も分かっていました。それでもやっぱり、私はめいこさんを受け入れることができなかったのです。
めいこさんは毎晩、夕食を作りに来てくれるようになりました。でも私は料理に全く手を付けませんでした。大好きなハンバーグにも、カレーライスにも。そればかりか、ある時から、私は絶食を始めました。父が作った料理や、学校で出される給食さえ拒否し始めたのです。その「ある時」というのは、めいこさんの「決意」を聞いてしまった時です。
「あかねちゃんだけでいいの。私、子どもは産まない」
リビングでめいこさんが父にそう打ち明けるのを、私は隣室から聞いていました。とてもショックでした。私が拒絶し、意地悪をし続けている相手に、大きな仕返しをされたように思ったのです。
今では分かります。あの決意は、仕返しなどではなく、父に対する愛情と、私に対する思いやりの深さからだということを。でもあの時はそんな風に理解できなかった。
絶食を始めて3日目に、私は倒れてしまいました。7歳が、何も食べずに何日も平気でいられるはずはありませんから。私が倒れたその日、父も、めいこさんも、とうとう恋を諦めたんですよね。
めいこさん、ごめんなさい。どうか許して下さい。
私は今、恋をしています。バイト先の上司に恋をしているのです。そしてようやく、7歳の私の残酷さに気付きました。その残酷さを知って、手紙を書かずにはいられませんでした。
めいこさん、ごめんなさい。
もう一つ、告白しなければいけないことがあります。私が恋をしているのは、東野直人さんです。そうです、私の想い人はめいこさんの夫だったのです。この偶然に、私は本当に驚きました。なんと言う皮肉でしょう。7歳の私がこわした恋が、ここにも一つあったのです。私は、私自身によって、恋を諦めるように運命付けられていました。
でも、これで良かったのです。このことで、めいこさんや父の痛みを知ることができたのですから。今さらかもしれませんが、めいこさん、結婚おめでとうございます。どうぞお幸せに。
もし、めいこさんとまたお会いできる機会があれば、その時は、この10年の間にあった色々なことをお話しましょう。人生の先輩として、たくさん聞いて欲しいことがあります。それでは、また。
大場あかねより。
〈第19話「私がこわした恋」おわり〉
次回予告
第20話「赤い糸」 5月21日(水)更新
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