誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか? 雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。
(みもんさん/20代後半の愚痴)
わたしはわたしの生きたいように生きて好きなモノをコトをヒトを場所を選択して生きています。とても楽しいです。満ち足りています。恋愛以外は。好きなように生きているのは自己満足です。誰かに肯定してもらいたいならば、そういう目的だったらもっと違う方法で、媚びたり、受けのいい趣味、服装、雰囲気などを作ればいいのですよね。でもそれはやらないし、やりたくない。そんなのは自分じゃない。自分じゃないというか、そういう自分でありたくない。誰かのため自分の芯まで変えたくない。
自分が誰か異性に肯定されようと行動しているわけではないから、すべては自己満足のためだから、だから誰か異性にそれを丸ごと受け止めてくれなんていうのはおこがましいじゃないか。恋愛ができない理由をこういうところに置き換えています。要は、そのままの自分を好きになってほしいけど、そのままの自分など好きになってくれる輩はいないのだと。
「恋愛ができない」というと「努力してるの?」と言われ、「出会いがない」というと「努力してるの?」と言われる。恋愛ってそんなものだったっけ?と思うのです。努力して、出会って、努力して、恋愛して、その先にゴールがあるものなのか?と。それを否定したいというより、そういう不自然なことをしていかないとだめなのか、という絶望です。正直なところ出会いはあります。いいなと思う人も、気になる人もたくさんいます。気になる人がたくさんいると言うか、恋愛に発展したら楽しそうだなと思う人です。でもそれが恋愛に発展しないのは、私に魅力がないから、私の努力が足りないからだろうなと、思われてるのだと思います。「努力が足りない」と言うひとたちから。努力ってなんだよ!?!?フットサルに行くことかよ婚活パーティーに行くことかよ!?!?行きたくなかったけどそうなのかなって思って婚活パーティーには行ったし、システム通りカップル成立もしたけど全然好みじゃなかったよ!!!!!!!!!!そもそも本来はそういうところで出会いたくないのに。なんで行ったんだろう。本当に。人生経験と思うことにします。努力って何なんだ、と思います。君たちのいう努力ってほんとに努力かよ、運がいいだけだろう。 最終的に私は不運であるというのが一番、自分も他人も傷つけない結論になります。でもこういう結論にすると努力した人たちは怒るんですよね。だから、努力ってなんなんだよ…。
非常にビビットで、ひとことでは説明しづらい感情をぶつけてくださってありがとうございます。まず、本題とは関係ないですが、みもんさん、文章がお上手ですね。普通、こういう微妙な心の機微って、なかなかうまく言葉にできないものなんですよ。非常にスムーズに読めて心にスッと入ってくる、こんな文章はなかなか書けません。
で、肝心の内容についてなんですけど、黙ってグラスに強い酒を注ぎながら、「まぁ、一杯飲(や)んなよ……あたしも飲るからさ」と言いたくなるくらい、私にも身に覚えのある感情でした。
みもんさんは20代後半とのことですが、私は30代後半で、このトシで「結婚したい」とでも言おうものなら、「何してんの?」(訳:結婚するためにどういう努力をしているのか)という返事がデフォルトです。そういう独身生活でみもんさんと同じように心の叫びが溢れすぎて、結婚したいという内容の本まで去年出したんですが、本を出したら「婚活パーティーとかいくつぐらい行ったんですか~?」と聞かれ、行ってないと言うと「?」(じゃあ結婚できなくて当たり前じゃん? この人なに?)という顔をされるという仕打ちを受けてきました。お見合いもやったし、人と出会うために人見知りを振り切って人の集まる場所に顔を出してもみました。でも、何をやっても「努力してるの?」「それは努力が足りない」と言われ続けていると、心が折れてくるんですよね。結果が出せなければ、それは「努力の不足」と言われるつらさ、よくわかります。
「君たちのいう努力ってほんとに努力かよ、運がいいだけだろう」
この心の叫びが本当に身に沁みますね。「たまたま一回、うまくいってつきあえてるだけじゃねーか!」という心の声をそっとバックコーラスで入れたくなります。
でも、みもんさんはここまでハッキリ「好きなことを選択して生きていて楽しい、満ち足りています。恋愛以外は」と書かれていて、「努力ってなんなんだよー!」と叫びながら、そして努力しなきゃ恋愛できないのか? と絶望しながら、ちゃんと婚活パーティーとか行ってみたりされているんですよね。「自分はこう思う」という信念はあるけれど、頑固ではないし、「人がそう言うのなら、やってみたらいいのかもしれない」と主義を曲げてみる柔軟性もある方なのだとお見受けします。してるじゃないですか、努力。誰が認めてくれなくても私は認めますよ、みもんさんは努力したって!
ただ、私がお見合いに向いてなかったように、みもんさんも婚活パーティーには向いてなかっただけだと思います。で、向いてるとこに行って、自分に向いてる人に会えば、話しかけて連絡先聞く努力ぐらいでスルーッとうまくいったりするんだと思います。ほんと、その程度のことでつきあえた人! そんな小さい努力を自慢しないでほしいですよね!
「異性に受け入れられるために生きてない、だから異性にそんな自分を丸ごと受け止めてくれなんておこがましい」。私は、みもんさんは、努力が足りないとかじゃなくて、単に謙虚すぎるんだと思います。別に異性受けするようなファッションや言動をしてなくても、カップル成立してる人っているじゃないですか。たぶんそこ、あまり関係ないんですよ。そして、みんな、丸ごと受け入れるのは難しくて、「嫌なところもあるけど、でも好き」みたいな感じで恋愛をしてるんだと思うんです。だから、おこがましいなんてそんな、思わなくていいと思うんですよ。
私の周りでは、最近友人がわりとたて続けに結婚しましたが、みんな「ずっとモテたことなんてなかったのに、結婚するなんて思わなかった」「恋愛は全然うまくいかなかったし、半分諦めてた」と言っています(別に私に気を遣ってそう言ってくれてるわけではないと思います)。男ウケしようともしなかったし、自分の芯を曲げることもしなかった彼女たちに魅力を感じて、果敢にプロポーズをした男性がいたということです。
「努力すれば恋愛や結婚ができるかもしれない」ということも、「自分が楽しんで生きていてば、そこに魅力を感じてくれる人があらわれるかもしれない」ということも、どちらも同じように不確かなことですが、どっちを信じるかと言われれば、私は後者を信じたいです。みもんさんも、努力派閥に負けずに、めんどくさい日常をがんばってやりすごしながら、好きなことやって楽しんでくださいね。
みなさまの愚痴を、雨宮まみが「穴の底」にてお待ちしております。長文大歓迎!
恋愛相手の愚痴も、職場環境にまつわる愚痴も、誰にも言えない愚痴も、「スポーツジムのおじさんの汗がキモイ…」みたいなしょうもない愚痴も、なんでもござれ。大なり小なり吐き出して気を楽にしませんか?
「どうしたらいいでしょう?」のような相談は受け付けておりません。ごめんなさい。
「キレイになりたい!」と言えないあなたに。
『女の子よ銃を取れ』
他人の視線にビクビクしたくない、自分らしく堂々としていたい、かわいい、キレイと言われてみたい……そう思っていてもどうすればいいのかわからないし、「キレイ」への道が怖くてたまらない。
キラキラした「キレイになりたい」本を手に取ることすら怖いと感じるくらい、「キレイ」が重荷になっている人のための、自意識や他人の視線、自分の視線を解きほぐす本です。
雨宮さんより一言:
何をしても、何を買ってもうまくいかない、変われないしパッとしない……。そんな悩みは、本当は多くの人が持っています。それ以前に何をすれば、何を買えばいいのかもわからない人だってたくさんいます。この間まではわかっていたのに、急にわからなくなってしまった人も。そんなときに、自分を取り戻し、新しい自分を作り上げるヒントや、気持ちの持ち方の軸のようなものがあればいいなと思って書きました。落ち込んだときのおともにしていただけると嬉しいです。
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