第1・第3水曜日更新
作・みよろり
私の中学に、剣道部ができたのは今年の春でした。顧問の先生の猛烈な勧誘の甲斐もあって、集まった生徒は総勢26人。自然と部員は一年生ばかりになってしまったけれど、新設のクラブとしては上々のスタートでした。
しばらくして、学校は剣道部の話で持ち切りになったのです。とてつもなく強い女子が一人いるのだと。それが織田果歩ちゃんでした。
小学校の時から叔父の経営する剣道道場に通っていた果歩ちゃんは、剣道部の誰よりも強かったのです。もちろん男子を含めての話です。果歩ちゃんの他にも剣道の経験者は何人かいたのですが、果歩ちゃんに敵う腕前の者は一人もいませんでした。女子でありながら、自分よりもずっと大きい男子をバサバサと斬り倒して行く姿にみんなは熱狂しました。
果歩ちゃんが人気者になると、やがて色んな噂話が囁かれるようになりました。毎朝自宅で真剣の日本刀を素振りしている、とか。信長の15代目の子孫だ、とか。果歩ちゃんの面打ちを喰らうと成績が上がる、とか。こういった噂話を耳にすると、いつも果歩ちゃんは軽く溜め息をついて「違〜う」と否定します。みんなの注目が集まっていることに対して、当の本人はありがた迷惑に感じているようでした。
「もう部活、いやになっちゃったな」
ある時、果歩ちゃんがそう呟いたことがありました。みんながあれこれ言うのを気にしているのかと思ったら、原因はそれだけではなかったのです。
「私、ほんとはテニスをやってみたい」
顧問の坂田先生と果歩ちゃんの叔父さんが親しいということもあって、剣道部に入部することをOKしたけれど、ずっとテニスをやってみたかったのだと果歩ちゃんは言いました。「でも、先生にも叔父さんにも言い出せないんだよなぁ」と。
そんな果歩ちゃんに、転機が訪れたのは夏休み明けの二学期のことでした。
小学校の卒業式の日に、盲腸の悪化で腹膜炎を起こして入院し、そのさなか、病院の廊下で転んで足の骨を折って、まるまる半年近くもベッドの上で過ごしていた不運の少年、中川佑介くんが二学期になって学校にやって来たのです。南小学校出身の果歩ちゃんは、東小学校出身の中川くんとその時初めて顔を合わせました。
「なにあのイケメン」
廊下で二人がすれ違いました。果歩ちゃんが中川くんに一目惚れした瞬間であり、私が果歩ちゃんの美意識に衝撃を受けた瞬間でもありました。
「全然イケメンじゃないわよ」「嘘!由香も狙ってるわけ?」「なわけないでしょ。アンラッキーボーイの異名を持つ悪運佑ちゃんよ」「佑ちゃんっていうんだ♡」
幸か不幸か、アンラッキーボーイは剣道部に入部しました。「私、すごくラッキー!」果歩ちゃんは最初そう言いました。しかしすぐにそれが幸運ではなかったと果歩ちゃん本人も気付くのです。それまで部活において、誰にも負けることのなかった果歩ちゃんが、どうしても中川くんにだけ勝つことができないのです。何度やっても中川くんに一本取られてしまいます。もし中川くんが実力者であればみんなも納得したかもしれません。しかし、中川くんはどちらかと言えば弱い方でした。
「私、緊張しちゃう。ダメだ。物見の向こうの佑ちゃんの目に殺られちゃうの」
すぐにみんなが噂を始めました。「織田は中川に惚れている」「だからわざと負けてやっているのだ」
これらの噂話を先に聞いたのは中川くんでした。中学生の男子というのは、本当にどうしようもない生き物で、女子からモテるということよりも、噂されるということを気にかけるのです。恋愛なんかよりも、男同士の仲間意識を優先します。中川くんは果歩ちゃんを呼び出して、こんなことを言ったのです。
「ね、僕のこと好きだって本当?ちょっと、マジで困るんだけど。その、なんていうの、部活でもさ、わざと負けてくれてるって聞いたんだけど。そういう気づかい?すごい迷惑。勘弁してよ。本当、不運続きだわ」
ショックだったでしょう。好意を「困る」と言われたこと、そして「わざと負けている」と言われたことが。
果歩ちゃんが剣道部をやめて、テニス部に転部することを決意したのはこの日のことでした。夜、私に電話をかけてきた果歩ちゃんは、想像したよりも明るい声で言いました。「明日、最後の部活で、佑ちゃんと勝負する。勝って、竹刀をラケットに握りかえるんだ」と。
翌日、みんなが見守る中、果歩ちゃんと中川くんの試合が行われました。乙女の眼差しはいつもよりも鋭く、真っすぐと相手に向けられています。
「やーーーーーーっ!」
両者の気合いが体育館に響き渡りました。次の瞬間、「ふうん!」と奇声をあげてぶっ倒れたのは、やはり中川くんの方でした。
〈第6話「さよなら乙女剣」おわり〉
次回予告
第7話「若いツバメ」 11月6日(水)更新
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