テーマ③ 子供のころに欲しかったものは?
今回は今までの空気から一転、「子供のころに欲しかったものは?」というほのぼのしたテーマで募集することになり、読者の皆さんと懐かしのおもちゃとか、メランコリックな思い出について歓談してみようなんて思っていたのですが、残念なことに、メールボックスを開いてまず飛び込んできたのがこのお便りでした。
ムード崩壊。でも、分かる。分かるから、今回は親の話をしてみようと思います。しかし、ほのぼのした雰囲気だけは意地でも残したいので、おりがみの輪っかや、厚紙の王冠など、もろもろ意識の片隅にひっかけつつ読んでみてくださいね。
さて、まともな父親が欲しいという叫び、私も非常によく分かるのですが、こうハッキリと近親を憎悪するような発言って、おもしろいほど分かりやすく断罪されますよね。代表的なのが、「育ててくれた親に対してなんてことを!」というもの。彼らは、私たちがすでにそういった部類の葛藤を経由してここに至っているのだということにまったく気付かず、想像すらしてくれず、もはやどう訴えても、聞き入れてくれる余地はなさそうです。というかべつに、その人の親を否定したわけじゃないのにね。関係性や歴史をまったく踏まえないまま、他人の親子関係まで「尊ぶべきもの」として死守しようとするその熱量、まるで信仰に近いな、と思います。
もうひとつ厄介なのは、「じゃあまともな親ってなに?」という問いを更にかぶせてくるパターン。確かに、まともな親・まともでない親と明確に区切ることは困難でしょうし、実際この乱雑なくくりは、新たな抑圧を生みかねない表現であるのかもしれませんが、それでも投稿者さんを始めとする子供たちの「親が憎い!」という叫びは、受け止めてあげるべきものだと私は思うのです。なぜなら前述の通り、「親を責めてもいいのだろうか」「親を憎んでもいいのだろうか」という葛藤は、まるで巨大な運河の如く、多くの子供たちにとっては越え難いものであり、その前で絶望し、憎むべき親も憎めず、果てしない自罰と罪悪感に押しつぶされてしまう子供たちがたくさんいます。そんな中、冷静に感情を割り出し、「親が憎い!」と叫ぶことに成功した子供たちのなんと勇敢なことでしょう。最近は、そんな子供たちが「毒親」というキーワードを掲げ、ただ憎しみを叫ぶのみならず、そういった憎しみを解体したり、そこから親子関係について再考したり、はたまた家という制度について再考したりするような流れもあるようです。そんな、「親を憎んでもいいんだ」というところから始まった子供たちの果てしない可能性を含んだ冒険を、私は支持したいし、私も挑んでいきたいと思っています。もしかしたらこのムーブメントは、親たちの苦しみすら解放してしまうかもしれない、なんて思いながら。ところでどうでもいいですが、今週、私が推しまくっている超特急のニューシングル「Starlight」が発売になりました。ワンコインで聴ける壮大なバラード、毒親から浴びた悪い波動がスッと消えて行くようですよ。おすすめです。
他にもこんな投稿がありました…
・お菓子のおまけについてたエセジュエリー。ちゃっちいのになぜかあのキラキラしたものに惹かれた。結局、恥ずかしさから「買って」とは言えなかった思い出がある。(ブブさん)
・プラスチック製のトランプ。当時は高級に見えた!(ぴちぴちぷりんぴちさん)
・シマリス…。お嬢様とかお姫様ってリスに好かれてるって、心から信じていた。(ヒジキさん)
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・一人っ子な環境。弟妹がいたので、習い事や欲しいもの、いろいろ我慢させられるのが嫌でした。(あたりめさん)
・セーラームーンの変身セットが欲しくて仕方なかった。バレエ習ってたから、親に「それ(衣装)で十分でしょ」って言われた。はとこがプリキュアの変身セットを欲しがって、ついつい買い与えてしまった…(笑)(咲椰夏さん)