恋愛、仕事、女としての自分をこじらせ、人生に行き詰まっては占いに駆け込む生活を続けてはや五年。自伝的エッセイ『女子をこじらせて』が話題の雨宮まみが、女子と占いの「ほど良い付き合い方」を考えます!
6月のある日、ふとこんなことを思いました。
「私、もう、ダメかもしれない……」
別に所有していた株が大暴落したとか、そういうことではありません(残念ながら株は所有しておりません)。友人と恋愛の話をしているうちに、だんだん自分の恋愛のダメな部分が浮かび上がってきて、それについて一週間ほど考えていたら、さらにダメな部分がボロボロ出てきてしまい、「もう恋愛自体が自分に向いてない」「恋愛さえしなければ、ほかの部分ではけっこう幸せなのに」と、かなり極端な方向に考えが暴走し、「恋愛を捨てるか……」と、本気で考え込んでしまったのです。
「恋愛を捨てればラクになれるかも」と考えているのに、ラクになるどころか「恋愛を捨てる=一生彼氏とかできない」という事実の前には、ただ涙がダラダラこぼれるばかり……。これでは入り口から全然ラクになっていません。矛盾だらけです。寝ながら流した涙が耳の穴に入って気持ち悪い思いをしながら、「やっぱり寂しいんだ、誰か一緒にいてくれる人が欲しいんだ」という本心に気付いたものの、その本心を直視するのもしんどいものがあります。なぜなら、恋愛に前向きになった結果はいつも失敗ばかりだから……。「これじゃ、どっちを向いてもつらいことばかりだよ!」と思った夜明け前、ふとこう思ったのです。「私、もう、ダメかもしれない」と。
そのとき心に浮かんだのは、かの有名な縁結びのパワースポット、東京大神宮でした。
「夜が明けたら、東京大神宮に行こう」。自然にそう思っていました。完全にヤバい精神状態ですが、東京大神宮に行くということ自体には、そんなにヤバさを感じないんですよね。なにしろ都内で近いですし、初詣とかで神社に行くのは普通だし……。普通じゃないのは私の精神状態だけです。
行くのには細心の注意を払いました。今まで友人たちから、縁結びのご利益を求めて東京大神宮に行った話を何度も聞いていたのですが、同時に「ご利益がなかったのは、友達と一緒に行ったせい。一人でしっかりお祈りしないと効果がないらしい」「家から東京大神宮に着くまで、誰とも口をきいてはいけないらしい」などの「こうしたらご利益がない」エピソードもさんざん聞いていたからです。
とにかく一人で、誰とも口をきかずに目的地までたどり着かねばなりません。しかし、たぶんこのへんだと思った場所に東京大神宮らしきものが見当たらず、うろたえる私。ここで誰かに道を訊くわけにはいきません。黙ってiPhoneのOSアップデートにより使い勝手が悪くなった地図を開いて場所を確認し、なんとかたどり着くことができました。鳥居の前でまず一礼し、参道は真ん中を避けて歩き……など、事前に予習を済ませた参拝の作法にのっとってしっかりと参拝を済ませました。有名なすずらんの形のかわいらしい縁結びのお守りも手に入れ、私は少し希望が見えてきたような気持ちになりました。
希望が見えてきた途端、空腹を感じたので帰りに駅前のきしめん屋さんで肉味噌冷やしきしめんを食べ、家に帰る頃には「また恋ができるかも……」と、ほのかな期待に心がときめく程度にまで回復していたのです。
いっぺん参られただけでそこまでのご利益を期待されても……と、東京大神宮さんのほうも思ってらっしゃると思うんですが、こちらの気持ちとしては、いっぺんお参りしただけでこれだけ気が晴れるのなら、もう行かない理由がないというか、行った者勝ちという気すらします。
しかしこのあと、「東京大神宮って、行くときは行きも帰りも直行直帰で、どこにも寄り道しちゃいけないんだって」という話を聞いてしまい、きしめんを食べた私にはご利益がなさそうなことが判明しました。
判明はしましたが、あの死にそうな明け方に「とにかく夜が明けたら、東京大神宮に行こう」と、「するべきこと」が見つかったことは本当に良かったと今でも思っています。目の前が真っ暗な気持ちになったとき、とりあえず「何も考えず動く」ことを思いつけるのは、やっぱりありがたい。動きさえすれば明るい気分になれることもあるし、きしめんを食べる元気だって湧いてくるのです。すがれるものには積極的にすがる精神で、これからもパワースポットにすがってゆきたい所存です。
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