大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。
前回に引き続き、第8のテーマ、自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(後編)をお届けします。
8.自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(前編)はこちら >>
必要なものを、必要なだけ受けとる。リスクは最低限に抑える。いつも冷静に、自分の欲望に振り回されることなく、自分の損得をきちんと考えて行動する。
こうした態度は確かに、大人として望ましい生き方です。
ただ、ここには、ある視点が欠けています。
それは、人間を生かしている「生命力」の視点です。
幼い子が力の限り、長い時間泣き叫びます。
じっとしていることができず、常に走り回っている子供がいます。
若いときは何でも大笑いし、大興奮し、妄想を膨らませ、バカなことをたくさんしでかします。
大人になってからも突如、自分の燃えるような衝動を抑えられない瞬間が訪れます。
損をすると半ばわかっているのに自分の全てを賭けてしまう人がいます。
ちょっとした好奇心から、違法なものに手を出してしまう人がいます。
愛したものにのめり込み、没頭し、耽溺し、おぼれこんで生活が破綻する人もいます。
明日早起きしなければならないとわかっているのに、深夜になってもゲームをやめられない、本を閉じられない、ドラマを見ずにいられない、といった経験に、心当たりはないでしょうか。
カッとなって怒鳴り散らして後悔したり、勢いで告白してやっぱり後悔したり、職場で号泣して後悔したり、上司を殴りつけて後悔したり、といったことは、珍しいことではありますが、現実問題「よく見る光景」です。
こんなふうに、私たちは自分で思う以上に、限りなく激しいエネルギーを生きています。
若いときほどそれはむきだしに表れます。
一方、大人になってうまく制御できるようになったと思えた瞬間、びっくりするような内なる荒波に飲み込まれてしまうことも、よくあるのです。
人生の「出入り口」のリスクの問題は、私たちのこうした「生命力」に直結しています。なぜなら、外界との「出入り」が発生するのは、私たちが生きているためだからです。
死んだら、呼吸も、食事も、すべての「出入り」が止まります。
私たちは冷たくなり、もう、エネルギーの激しい燃焼と、それにともなう「出入り」は起こらないのです。
もとい、人生にはもうひとつの「出口」があります。それは「出産・育児」です。
自分の生命力は、自分という個体の中ではかならず終わりますが、新しい人間に燃え移って、継承されていきます。一人の人の人生から、もう一つ別の新しい人生が「放出される」のです。
子供を生み育てることもまた、大きなリスクを引き受ける営為です。
でも、私たちの内なる激しい生命力は、そのリスクを負って、命を次世代につなげていきます。
こうして考えてみると、「幸福」とは、かなり複雑なものであることに気づかされます。
というのも、多くの人が「しあわせになりたい」と願うとき、最初に念頭に置くのは、自分自身の幸福であるはずです。
ですが、「自分の幸福とは何か」を考えていくと次第に、愛する人や子供の幸福が最大の条件となることは、珍しくありません。
さらに、「幸福とは何か?」という問いの答えが「苦しみや悲しみが訪れないこと」となる場合もあります。これは、ここまで長々と述べてきた「ゲートの開閉」の問題です。
喜びやゆたかさが私たちの生活に入ってくるとき、責任や義務、罪悪感などが一緒に流れ込んでしまうことも、よくあります。
幸福は、自分一人だけの世界では、完結しないのです。
私たちの人生は、常にいくつもの「出入り口・ゲート」によって、外界と繋がっています。ゆえに、私たち自身の幸福を考えるときはいつも、その出入り口から出入りするものに考えが及ぶのです。
出入りするものは、完全にはコントロールできず、出入りの際には常にリスクが伴います。そのリスクが現実のものとなったとき、多くの人が自分を責めますし、他人が自分を責めてくることもあります。でも本当は、それを「責める」ことは、ナンセンスなのです。
ゲートの開け閉めを失敗して、受け入れるべきではないものを受け入れてしまう経験を、ほとんど全ての人が持っているはずです。
一方、ゲートの開け閉めの賭けに運良く勝っただけなのに、「自分は自力で成功したのだ」と信じ切っている人は、少なくありません。
時限爆弾の青い線と赤い線のどちらを切るか、ノーヒントで決めなければならないような瞬間を、私たちは人生の中で、けっこうしばしば、経験しているのです。
そこで爆弾をバクハツさせてしまったとして、その人の責任を問えるでしょうか。
法的にはもちろん、そこがしばしば、問われます。
裁判の場では、それこそが「争点」になります。
でも、私たちが自分個人としての人生や幸福を考える場合は、どうでしょうか。
あるいは、自分にとってごく大切な人の人生について考えるときは、どうでしょうか。
かけがえのない大切な人が、赤か青か、間違ったほうを切ってしまったなら、私たちは基本的に、全力で相手をサポートしようと思うはずです。
自分もまた、同じ目に遭わないとも限らないことが、わかるからです。
幸福がもし、人間の心の中に生まれるものだとするなら、私たちが幸福になるにはまず、「ゲートの開け閉めの失敗について、自他を責めるのをやめる」ことが必要なのかもしれません。
人生には、誰のせいでもないことが、たくさんあります。新型コロナウイルスに感染した人を責めるのがナンセンスであるのと同じように、そこで犯人捜しをするのは、無意味なのです。もちろん、たくさんの警告を受けながらも「自分だけは大丈夫」「このくらいは大丈夫だろう」といった無根拠な自信で行動し、感染してしまった人々に、医療従事者の方々などが苛立ちを感じるのは当然だと思います。ただ、失敗は誰にもあります。それをどのように反省し、他の人々への教訓とするかは、また別の問題と言えるでしょう。
ひとつだけたしかなのは、「リスク管理」と、「失敗した人を直接的に非難する」こととは、別のことだという点です。世の中には、取り返しのつかない失敗というものも、存在します。人間は、そういう失敗を「する」のです。「絶対にやってはならない!」と声を上げるのも大切ですが、「そもそも、人間とは、そういうことをする生き物なのだ」というところから思考を始めるほうが、近道なのではないかと思うのです。
いいことも悪いことも「誰のせいでもなく」起こります。そのことを引き受けてどう生きるか、ということが、第8ハウスの幸福のテーマなのではないかと、私は思っています。
>>次回もお楽しみに(2021年3月25日更新)
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