ここは、みなさんの頭の中にあるタロット美術館。
重厚な扉を開け、長い回廊を進むと…、数々のタロットが時空を超えて目の前に現れます。
占星術・タロットの日本における第一人者である鏡リュウジ先生と元美大生でご自身でもタロットカードリーディングをされる女優の鈴木砂羽さん。おふたりが、さまざまなタロットカードを挟んで、10回にわたりその絵柄の中に眠る物語を紐解いていきます!
◎出演者紹介

鈴木砂羽
女優として数多くの作品に出演。その傍ら「さわにゃんこ」名義でタロットリーディングを楽しむ日々。

鏡リュウジ
幅広いメディアで活躍し、タロットカードの監修や関連書籍の翻訳・執筆も数多く手掛ける。
少女マンガの絵柄×タロット ロマンチックな世界観にうっとり…
ついに今回が最終回。
前回は、水木しげる先生の妖怪をモチーフにしたタロットを挟んで盛り上がった鏡先生と砂羽さん。
今回、おふたりの手元にあるのは、これまた日本の漫画家、魔夜峰央先生の作品『魔夜峰央タロット』。
『パタリロ!』の作者もタロットを!
砂羽さん:魔夜峰央先生は、水木しげる先生をものすごく尊敬していて、妖怪の漫画も描いているし、描き方も極細の線で描く画風なんですよね。このタロットは、魔夜先生の全盛期の頃に作られているんだと思います。
鏡先生:線の細さは、本当にすごいですよね。このタロットのものではないんですけど、魔夜先生の原画を見て、すごく細やかでびっくりしたことがあります。このタロットは原画がないんですよね。魔夜先生ご自身も、原画をお持ちじゃないんですって。
砂羽さん:当時は、今のようにパソコンで管理できたわけじゃないから、紛失してしまうこともあったでしょうね。漫画家の先生も全部手作業で描いていらっしゃったのに…。
鏡先生:このタロット、復刻版を作るときに、原画がないのですごく大変だったみたいですよ。金のような色がうまく出せなかったりして…。
砂羽さん:今の技術だと、限りなく元の絵に近く復刻できるけれど、それでも大変なくらい細かい絵なんでしょうね。でも、魔夜先生の絵は、やっぱりいいな。すごく好きな画風です。


確かに、1枚1枚から、深くて切ない物語が浮かび上がってきそうな絵柄です。
思い出に花が咲く!80年代占いブーム
『魔夜峰央タロット』の発刊は1980年。鏡先生と砂羽さんのお話は、当時へとタイムスリップ!
砂羽さん:里中満智子先生も星占いがモチーフのゲームを描いていらっしゃいましたね。
鏡先生:そうでしたね!『里中満智子の星占いゲーム』ですね。砂羽さん、よくご存じですね!
砂羽さん:すごく欲しかったんです。でも、当時はまだ幼なすぎて、「砂羽はまだわからないでしょ」っていうことで買ってもらえなかったんですよ。
鏡先生:そうだったんですね。
砂羽さん:やっぱり、タロットも占い全般も、1980年代になって、商業的なカルチャーと結びついてから、ものすごく娯楽性が高まったんでしょうね。
鏡先生:そうですね。80年代は、まだちょっと「怖いもの」っていうイメージが若干ありつつも、楽しくなってきた時期ですね。いろんなアニメとかドラマとかにも、タロットが出てきたりしましたし。
砂羽さん:『ハーピット』っていう、手のひらサイズの電子ゲームも出てきましたね。
鏡先生:あ!知ってます! ポケコン(※)の原型ですね。あと、腕時計型の星占いとかもありましたよ。
砂羽さん:そうです、そうです!懐かしいー。
鏡先生:渋谷のセンター街にも、『星占いの館 シグマ』っていうコンピュータ占いのお店があったんです。
砂羽さん:へぇ!面白い!
鏡先生:それが、最初のコンピュータ星占いだったと思います。ホロスコープを、きっちり作ってくれるんです。高校時代に行きました。
※ポケコン:「ゲームポケコン」をはじめとする携帯型電子ゲーム機。
この連載の第5回で、鏡先生が、「1980年に、パルコでタロット展が開かれたりして、そこから消費文化と強く結びついていった」と言っていたように、80年代はタロットや星占いが、“みんなのもの”として広がっていった時代なんですね。
いつの時代も産業や文化の波に乗るタロット
そう言えば、もともと貴族のための高級品だったタロットが、カードゲームとして一般的に広がったきっかけとは何だったのでしょう? 実は、当時の産業や文化の変遷と切っても切れない関係があったのです。もう一度時代をさかのぼって、鏡先生のお話しを聞いてみましょう。
第2回でご紹介した「ヴィスコンティ・スフォルツァ」のタロットは、当時(15世紀末)は、1枚1枚、職人の手で描かれていたということでしたが…。
鏡先生:ただ、この時代に木版画などの技術が生まれ、印刷されて大量生産されるという流れになるんですよ。それから、17世紀か18世紀になると、ルネサンスの影響でフランスに文化の中心地が移動して、フランスがタロットの一大生産地になったんですね。
砂羽さん:うんうん。
鏡先生:当時、タロットの多くは港町で作られていました。
砂羽さん:なるほど、印刷は水を使いますからね。
鏡先生:はい。あとは流通も、港町が産地になった理由に関係しています。当時の輸送手段といえば船ですから、港町には各地を移動するのが生業の船乗りなど、国内外から多くの人が集まりました。船乗りが暇なときに安価なカードで遊び始めたことが、タロットがカードゲームとして各地に広がっていくきっかけとなったんです。
砂羽さん:なるほど! 確かに、船乗りは、カード遊びに興じていそうです!
鏡先生:それから、タロットじゃないですけど、日本でも同じようなことがあったんですよ。江戸時代、ポルトガルから来た船乗りたちが持ち込んだ遊びが、カルタです。
砂羽さん:へえー! なるほど。カルタの語源は、ポルトガル語のcartaということなんですね。
ポルトガル語のcartaは、「四角い紙」や「カード」という意味があります。カルタも、カード遊びとして日本に入ってきたとは! カルタとタロットの歴史に、重なる部分があるなんて、なんだか不思議です。
語り尽くせない、アートとタロットの魅力
何世紀も前から多くの人に親しまれてきたタロットカード。長い歴史の中で作り上げられてきた神秘的な世界観に惹きつけられずにはいられません。
砂羽さん:神秘に触れるきっかけはいろいろあると思いますけど、その中でもタロットって、自分の内側にある神秘の扉を開く入口になりやすいんだろうなと感じます。
鏡先生:そうですね。美術とタロットを結びつけるだけでも、ルネッサンスとか70年代アートとか、いろんな入口がありますよね。
砂羽さん:本当ですね。シュルレアリスムの代表的なアーティスト、ダリも、タロットカードをデザインしていますしね。
鏡先生:そうそう。それから、イタリアには、画家でもあり彫刻家でもあった現代アーティストのニキ・ド・サンファルが作った、タロット・ガーデンがあるんですよ。オブジェというより建物という感じで、タロットの世界観を表現しているんです。
砂羽さん:タロット・ガーデン! 素敵ですね! もし続編があるなら、ぜひそこに行きましょう!
タロットと美術の話は尽きず、イタリア行脚の夢まで膨らむ鏡先生と砂羽さん。
多くのアーティストの感性や工夫が織り込まれ続けているタロットは、きっと、あなたの心にインスピレーションをもたらしてくれるでしょう。
まずは、カードを手に取って、お気に入りの1枚を見つけてみてください!
株式会社ヴィジョナリー・カンパニー
今回、鈴木砂羽さんと鏡リュウジ先生のおふたりにお話を伺ったのは、タロットやオラクルカードの出版・輸入販売を行う会社、ヴィジョナリー・カンパニーの事務所の一室です。様々なカードが壁一面に並ぶステキな空間からおふたりのトークを届けします。
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鈴木砂羽
女優。1994年映画『愛の新世界』で主演デビュー。同年、ブルーリボン新人賞やキネマ旬報新人賞など受賞。以後も、ドラマ、映画、舞台以外にもバラエティー、マンガの執筆など意外と幅広いジャンルで活躍中。さらに、プライベートでタロットリーディングをするなど占い好きな一面も。
■Twitter:@bom_schedule
■YouTube:砂羽ラボ。

鏡リュウジ
雑誌、テレビ、ラジオなど幅広いメディアで活躍し、絶大な人気を誇る心理占星術研究の第一人者。占星術、占いに対しての心理学的アプローチを日本に紹介し、従来の「占い」のイメージを一新した。英国占星術協会会員、日本トランスパーソナル学会理事、平安女学院大学客員教授、京都文教大学客員教授など多方面で活動中。
■Twitter:@Kagami_Ryuji
■公式サイト