大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。
前回に引き続き、第7のテーマ「パートナーシップ」と幸福。(後編)をお届けします。
「私は結婚に向いていない」「結婚に興味がない」と言いつつ占いを求める人の言う「結婚」は、「世間的に言う結婚」のことだろうと思います。
「世の中一般にイメージされるような『結婚』」「保険やハウスメーカーのCMに出てくるような、ステレオタイプの『結婚』とその役割概念」に、「興味がない」のでしょう。
「自分に何らかの形で『合う』と思える誰かと、人生の一部を共有して、助け合って生きていく」ということなら、もしかしたら、「興味がある」と感じられるかもしれません。
心の片隅にそうした関心、あるいは仮説があるからこそ、こうしたご質問を寄せられたのではないかと思うのです。
もちろん、全ての方がそうだというわけではないと思います。
ご相談にはそれぞれ、共通する部分がある一方で、まったく誰のものとも重ならない、とても深いものが含まれているからです。
たとえば「同性愛でなくとも同性同士で結婚できる世の中になるべきだ」という考え方があります。これは、結婚制度というものを考える上で、とても大事な発想だと思います。
パートナーシップとは、ただ、人が人と、協力し合って生きていくことです。
そのことに、部外者が何の意見をはさめるものでしょうか。
パートナーシップは、「創造」されねばならないのです。
どこかにあるテンプレートに、無自覚に自分をはめ込むような「結婚」は、危険なのです。
サイズも見ず、試着もせずに、かたい革靴を買うようなものです。
パートナーを得ても、ちっとも幸福になれない人もいます。
いわゆる「モラハラ」や「DV」「ワンオペ育児」など、パートナーによって不幸になる人も、たくさんいます。
その一方で、パートナーと生きていることがなにより幸福だと感じる人もいます。
この違いは、どこにあるのでしょうか。
パートナーシップを結ぶことで幸福になるには、おそらく、いくつかの条件が必要なのだろうと思います。そして、その条件もまた、全ての人に当てはまるというものではないでしょう。「誰にでもぴったり合う靴」が存在しないのと同じです。
ただ、こんなことを私は想定します。
パートナーシップによって幸福になる条件のひとつ、それは、お互いの関係の中で、「缶詰が開く」体験があることです。
人の心の中には、固く閉じている場所がたくさんあります。
でも、閉じた場所の中に格納されたものは、そのままでは成長しないのです。
ナカミが腐敗して膨張し、どうにもならなくなることもあります。
そして、その「閉ざされた場所」「缶詰」を、一人で開けることは、なかなか難しいのです。
ある人と出会い、生きる時間を共有する中で、その「缶詰」のようなものが開きます。
中にはそもそも「隠しておきたかったもの」「触れたくなかったもの」が入っているので、ちょっと困った事態になる場合も、よくあります。
自分一人では状況を収拾できず、出会えたその人に手をかしてもらうことになります。
そのとき、幸福に向かうためのパートナーシップが結ばれます。
白雪姫のガラスの棺が壊れる瞬間、鉢かづき姫のかぶった鉢が壊れる瞬間、シンデレラの片方の靴が脱げてしまう瞬間などは、まさに、「缶詰が開く」瞬間です。これらは初潮や破瓜のメタファーだと解釈されることも多いようです。でも、それ以外にも「バランスが崩れる」「缶詰がふくれてはじける」瞬間は、人生の中でたくさんあります。
私たちが成長を重ね、他者と巡り会ったとき、なんらかのきっかけで、心の中で閉ざされていた部分が開かれます。それは一見、トラブルのように見えることもしばしばです。ですがその瞬間にこそ、奇跡のような「関わり」が生じ、新しい人格と関係性が生まれ出すのです。こうした体験は、人生の中でたった一度のことではなく、何度も繰り返されていくことなのではないでしょうか。
「美女と野獣」で野獣の顔から王子の顔に変わる瞬間や、おやゆび姫が死にそうなツバメを介抱するくだりなどは、「一人では収拾できなくなった状況を、助けてもらう」体験に重なります。内なる弱さや醜さが現れ出ても、それに向き合ってくれる「誰か」が現れたとき、私たちは相手を初めて、「もう一つの自分の生命」として認識し始めるものなのかもしれません。
そんなことは怖くてできない、と思われるでしょうか。
でも、時々「心の機が熟す」と、そんなことが自然に起こる場合も、少なくないようです。
>>次回もお楽しみに(2021年1月25日更新)
石井ゆかりの『幸福論』
※Webサイト「筋トレ・週報」より転載。スマホ有料コンテンツ
「石井ゆかりの星読み内にて掲載中」
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