女友達に頼られると放っておけない男
「〇〇ちゃん、どうしたの? 悩んでるなら話聞くよー!」
彼は頼られると放っておけない性格のようで、女友達の恋愛相談にも頻繁にのっているみたいなんです。
カフェに呼び出されて夜中まで話を聞いたり、長電話に付き合ったりと、ただの友達でそこまでするのかと疑い深くなってしまいます。
それで、私とのデートの約束に遅れたこともありました。
みんなに頼りにされているってことかもしれませんが、少し心配です。
疑ってしまう私がおかしいのでしょうか?
上野さんの回答は…
ご質問誠に有難う御座います。
この世界で最も差別をする人間は誰かと聞かれれば、私は「親」と答えることでしょう。
親ほど差別をする人間は他におりません。
それでは逆に、この世界で最も差別をしない人間は誰かと聞かれれば、私は「サイコパス」と答えることでしょう。
良いか悪いかは別にして、サイコパスほど人のことを差別しない人間は他におりません。
差別をする親。差別をしないサイコパス
先日、私の家に初めてゴキブリが出ました。
今の家に住んで約3年。できる限り部屋を綺麗にしていたつもりですが、ゴキブリを完全に撲滅することはできませんでした。
キッチンの床にあの黒い怪物が登場してしまったのです。
幸いにして私はゴキブリがそこまで苦手ではないのでティッシュでそのゴキブリを殺したのですが、この私の行動こそが極めて平等な考えであると言えるでしょう。
例えば家に2匹ゴキブリが出たとして「こっちのゴキブリは殺さないけど、こっちのゴキブリは殺す」なんて考える人はおりません。どちらのゴキブリも殺すことでしょう。
つまり2匹のゴキブリに対して全く同じ行動を取っているのです。
なぜなら私たちはゴキブリの個性を全く気にしていないから。よくよく見れば2匹のゴキブリは全く別の個体であり大きさもスピードも全然違うのですが、私たちはその差を気にしません。
どちらのゴキブリも「ゴキブリ」と判断して同じ対応を取るのです。
これはサイコパスの思想に非常に似ているものでしょう。
人間に興味がないサイコパスは、人間それぞれの個体差をあまり気にしません。普通の人は「Aさんは好きだけど、Bさんは嫌い」というように個体差をきちんと考えているのですが、サイコパスはAさんもBさんも等しく興味がないのです。
サイコパスのこの価値観を、私たちはなかなか理解できないものですが、ゴキブリを見たときの私たちの思考と同じものであると考えると理解しやすいでしょう。ゴキブリを見たとき、それがどんな顔をしているとか、どれくらいの大きさかということを私たちは気にしません。それと同じように、サイコパスは個々の人物の個性に興味がないのです。
ですので、サイコパスはあまり差別をしません。
周囲の人間に等しく興味がないので、どちらに対しても同じような態度を取るのです。
一方で「親」は極めて差別的な存在でしょう。
一般的な親は「自分の子供」と「それ以外の人間」を、かなり明確に分けて考えております。
例えばこんな問題を考えてみましょう。
ブレーキが壊れたトロッコが走っていて、自分の前にはトロッコの行き先を決めるレバーがあります。
このまま何もしなければ5人が死にますが、レバーを切り替えればトロッコの行き先が変わり1人が死ぬ。そんなとき、あなたはトロッコのレバーを切り替えますか?
かの有名な「トロッコ問題」で御座いますが、この問題に親と子を登場させると、ことのほか差別的な回答が得られます。
基本的に「親」という生き物は自分の子供が死ぬかどうかだけで判断をするのです。そしてそれは、ときに極めて差別的な選択になることでしょう。
例えばトロッコのレバーを切り替えなければ自分の子供1人が死に、トロッコのレバーを切り替えれば1万人が死ぬというような状況である場合、多くの親はレバーを切り替えます。
1万人の命と1人の命を比較して1人の命を選ぶなんていうのは、超差別的としか言いようがありません。しかし、それでも親という生き物は自分の子供の命が助かるほうの選択肢を取るのです。
もちろん私はそんな親の行動を非難するつもりは御座いません。私が言いたいのは「親」という生き物は非常に差別的な生き物であるということでだけなのです。
差別と愛は同じもの
ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。
差別という言葉を辞書で引くとこのように書かれておりました。
これを差別の定義とするのであれば、人を愛するということは差別以外の何ものでもありません。
私たちは「好きな人」と「嫌いな人」で接し方を明確に分けているのです。それは「好感度」という基準で差をつけて区別しているという差別に他なりません。
つまり、人を愛するということは本質的に差別的なことなのです。好きな人を優遇するというのは、そうではない人を冷遇するということと同義であり、好感度という基準による差別以外の何ものでもありません。
それでは今回のご質問に戻りましょう。
彼氏様がご質問者様のことを愛しているかどうか、ということは「どれほど差別的であるか」という基準で考えるべきなのです。
例えば、彼女以外の女性からの電話は10分で切るものの、彼女からの電話は3時間でも話し続けるというようなことであれば、彼氏様は極めて差別的な態度を見せてくれていると言えるでしょう。一方で彼女とでも、それ以外の女性とでも3時間の電話をしている場合は、人を区別することなく平等な態度を取っていると言えるのです。
今回の彼氏様はどちらでしょうか?
他の女性にどれほど優しくても、彼女であるご質問者様に対してそれ以上に優しいのであれば彼はご質問者様のことを愛していると言えるでしょう。一方で、どれほどご質問者様に優しくとも、それと同じだけの優しさを別の女性にも振りまいているのであれば、それはご質問者様のことを愛しているとは言い難いのです。
人を愛するということは差別をするということなのです。誰にでも同じように優しい人間は誰のことも愛していないサイコパスでしかありません。
特別扱いしてくれるなら愛している
彼が別の女性に対しても優しい姿を見て、ご質問者様が不安に思うのは当然のことでしょう。
愛とは本質的に差別なのです。好きな人を優遇して、嫌いな人を優遇しないというのは「好感度」という基準で対応を変えている差別以外の何ものでもありません。しかしそれは、決して悪いことではないのです。少なくとも私はそれが悪いことだと思いません。
誰に対しても同じように優しい人間は誰のことも愛していないのでしょう。
もちろん彼が、別の女性に対してやたらと酷い態度を取っていたら、それはそれで問題がありますが、全ての人間に対して彼女と同じような態度で接するのもやはり重大な問題があるでしょう。
ご質問者様にお伺いします。
彼はご質問者様のことを優遇する差別をしていますか?
誰も愛さないタイプ ランキング
最後に、ダメ男子タイプ別に愛情表現の違いを見てみましょう。誰のことも愛さないのは、どの男子でしょうか? ランキング形式でご紹介します。
※まずはこちらの診断で彼氏のタイプをお調べ下さいませ。
◎ダメ男子別・誰も愛さないタイプ ランキング
第1位
経営者男子
経営者男子は良い意味でも悪い意味でも差別をしないタイプでしょう。
根本的に人間に対しての関心が低いので、人を差別しないのです。
しかしそれは「等しく冷たい」ということなので注意が必要になります。
第2位
サビ残男子
自分のことばかり考えているサビ残男子は、みんなから好かれようとするので、誰に対しても同じように対応することが多いタイプです。
また、人の頼みを断ることが極めて苦手なので、結果として今回のご質問者様の彼氏様のように人から頼りにされてしまうことも多いでしょう。
第3位
係長男子
人を差別してはいけないという正義感が非常に強いタイプです。
特に仕事中は公私混同を許そうとしないので、好きな人でも嫌いな人でも同じように接します。
とは言え「差別をしてはいけない」と考えている時点で、ある程度差別的な人間であると言えるでしょう。
普段は差別をしない性格なのですが、身内を見捨てることができず、なんだかんだで好きな人を優遇してしまいます。
第4位
企画男子
一緒にいて楽しいかどうかという基準で差別を行うタイプです。
しかし、自分が楽しいかということばかり考えているので、人に対する関心はあまり高くありません。嫌いな人には徹底的に冷たく接しますが、世間でよく見られるような差別はしないでしょう。
第5位
エンジニア男子
感情が表に出ないので極めて平等な人間に見えますが、心の中では明確に差別をしているタイプです。
仕事に関してはプロ意識が高いので、どんな人からの仕事であっても最高の仕事をしますが、仕事以外で好きじゃない人とは全く関わりを持ちたがりません。
第6位
サトリ男子
ある意味で、ダメ男子タイプ中最も、嫌いな人を冷遇するタイプでしょう。
嫌いな人に対して明確な加害行為を行うようなことはありませんが、嫌いな人や興味がない人には一切の関心を持ちません。業務上必要な会話は行いますが、それ以外はまるで見えていないかのように振る舞う傾向があります。
第7位
プロジェクトリーダー男子
全ての人間を敵と味方で区別しているタイプです。
身内には、なんだかんだで激甘ですが、敵に対しては容赦をしません。
また、人の好き嫌いが非常に激しく、かなり差別的な人間と言えるでしょう。
第8位
総務男子
好きな人と嫌いな人で明確に差別を行うタイプです。
ただし、嫌いな人を冷遇するというよりも、好きな人を半端なく厚遇するので、その差別的な対応が問題になることはあまりありません。ですが、好きな人を厚遇するということは相対的に嫌いな人を冷遇していることなので、その本質はこの上なく過激な差別主義であると言えるでしょう。
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