斜め上ゆく妄想力で世の中を斬るコラムニスト・辛酸なめ子さんと共に噂のサイキックカウンセラー・ウィリアムレーネンさんに、いろいろ聞いてみようというこの企画。
早速、なめ子さんと編集部スタッフはレーネンさんの滞在先を訪問しました。再会して早々、UMA(未確認動物)の話で盛り上がるおふたり。レーネンさんによると、講演の際訪れた河口湖には未知の生き物が住んでいるのだとか…。
ディープすぎる話題に、しばし「???」となっていた編集部スタッフですが、気を取り直して「あの…そろそろ」とお声がけ。そこから、なめ子さんの質問タイムがスタートしました。「他人を嫌って攻撃したり、執着したりしてしまうネガティブな感情とどう折り合いをつければいいの?」
レーネンさん、教えてください!
悪口を言われても「ありがとう」
なめ子:インターネットなどでネガティブな書き込みや悪口などを見ると気持ちが落ち込むんですよね…。体まで重くなるんです。
レーネン:気持ちが落ち込んだりするのは、それを発信している人に対してパワーを与えてしまっているからです。
なめ子:相手にパワーを与えているから、こちらまで疲れてしまうんですね…。
レーネン:インターネットやテレビで発信されたネガティブなな情報は、受け取る側がそれ自体を変えることはできません。だから、感情的に反応するのではなく、客観的に見るようにしてください。
「これはこの人達(ネガティブな人達)の意見であって自分の意見ではない」という理解が必要です。ネガティブなエネルギーと自分との間に境界線を認識しておきましょう。
テレビやネットに溢れる悪口や誹謗中傷に反応するだけで、パワーを奪われているんですね。「インターネット疲れ」や「SNS疲れ」を感じている人は、ネガティブな情報から距離を置くことが大事なようです。
そうはいっても、感情的にならずに客観的な視点を持ち続けるってなかなか難しいもの。そのあたり、どうすれば?
なめ子:客観的になるためには、具体的にはどんな行動をすればいいのでしょう?
レーネン:自分の悪口をネットに書かれてしまった場合、あなたはどうしますか?
自分に対する誹謗中傷を悲しんだり、怒ったりしてはいけません。
たとえ不快な態度をされたとしても、相手の行為に対して「ありがとう」と反応してみましょう。
なめ子:え?(…嫌なことをされているのに「ありがとう」!?)私なら半日は落ち込みます。
レーネン:誹謗中傷されたことに対して「ありがとう」と返すわけではなく、「自分はこうなってはいけない」という気づきを与えてくれたことに対して感謝するのです。
否定的な情報を、ポジティブに変換することで、ネガティブな感情に引きずられることなく客観的に事実を見つめられます。
「ありがとう」とあえて言うことで、感情的になりそうな自分にブレーキをかけられるのかもしれません。
さらにレーネンさんのお話によると、ネガティブな情報に振り回されないよう毅然とした態度で向き合うことが、人生を前向きに進める秘訣なんだそう。
レーネン:この世界には何十億という人々がいます。人数が多い分、ネガティブなものも膨大に生み出されています。
しかし、悪いことが書かれたり、世に発信されたりしていること自体は、実はどうでもいいのです。
マイナスなものを目の前にしたとき、みなさん個人個人がどのように向き合うかが大事になります。それぞれが責任をもって対処していくことで、自分の人生をプラスに導いていけるでしょう。
「心配」は人を思いやっているわけではない
怒って攻撃的になることだけがネガティブな感情というわけではありません。心配したり不安になったりすることも同様に心にモヤモヤを溜める原因になります。
「心配すること」について、レーネンさんはこんな風に考えているそうで――。
レーネン:たとえば、田舎の両親が病気にかかったとしましょう。その事実に対して、あなたはなにができますか?心配することで変わることがあるのでしょうか?
親の病気に対して「心配する」「不安になる」ということは、彼らにネガティブなエネルギーを送ってしまっているのです。
レーネンさんのご家族も、火山活動が活発なハワイで居住されているそうですが、レーネンさんは「心配をしたり」「不安がったり」はしないとのこと。
確かに心配したところで、なにも変わらないのですが、家族から心配されないのはさみしい気がしますよね。
なめ子:親の体調が悪いと結構心配してしまい、神社やお寺にお参りしたりしていました。
母も生前は、「風邪をひいてないか」と私のことを心配してくれて。まさに心配がコミュニケーションのようになっていたんです。なので、自分が病気になったときに、誰からも心配されないのはさみしいような…。
レーネン:そう感じるのは「心配をされないことは孤独である」という刷り込みが強いからです。心配をする感情が一番大事だと感じているのではないでしょうか。
人は誰しも、周りの人から心配されたいと思うものです。しかし、「心配をしてもらいたい」という感情は、他人に自分のことを気にかけて欲しいという欲望に他なりません。つまりは、その相手の思考を支配したいという自分本位な態度なのです。
まさか「人から心配されたいと思うこと」が、相手を支配したい気持ちの裏返しだったとは…。Twitterなどで体調の悪さをアピールする女性が“かまってちゃん”などと呼ばれて敬遠される理由もここにあるのかもしれません。
人を心配しないというと、なんとなく薄情な気がしますが、レーネンさんによると、「心配すること」と「人を想うこと」は違うようで――
レーネン:「人を想う気持ち」と「心配」は大きく異なります。
人を想うというのは、相手の幸せを信じて祈ることです。そして、身近にいて実際にサポートしてあげることです。
一方、心配するのは、相手の幸せとは逆のことを想像して不安を感じていること。つまり、相手を気遣うつもりで、ネガティブな念を送ってしまっているのです。
多くの人は、「心配すること=相手を思いやること」と刷り込まれているようですが、それは間違っています。
大事なのは、相手の幸せを願って気持ちが上向くような言動をすることなのです。
「心配になって、すがるようにお祈りをする」という行為は、よろしくありません。祈りというポジティブな行動をしているのに、心配するというマイナスな行動がそれを邪魔して、届けたい想いが相手に届かなくなってしまうからです。
家族が大病した時、こちらも心配で具合が悪くなったり、心配の表情でお見舞いすることで、相手を暗い気持ちにさせてしまっていました。心配は百害あって一利なしですね。家族に限らず、友人がちょっと連絡取れなくなっただけで、「病気?事故?」「もしかして死んだの?」と心配を増幅させる癖を改めなくてはと思いました。
ポジティブな「祈り」を届けよう
心の中に心配や不安な気持ちを抱えていると、ポジティブな想いも届かないということなんですね。では、前向きな気持ちを維持するにはどうすればよいのでしょうか?
なめ子:では、神社などで祈ることは避けたほうがいいのでしょうか?
レーネン:「祈ること」と「心配すること」では大きく異なります。神社で「お祈り」をするのはポジティブなエネルギーを送ることになります。不安な気持ちを抱えたままで祈るのではなく、前向きなことを考えるのが大事なのです。
レーネン:神社の話題が出たので、ついでにお話しておくと、神社でのお賽銭は「神様」にわたるのではなく、「神社」にお金を払っているということを認識するべきです。
なめ子:お賽銭は神様への供物ではないのですか?
レーネン:お賽銭は、神社への支払いなのです。ですから、お賽銭をして終わりではなく、神様に対してエネルギーを送りましょう。
それは「感謝をする」という行為でもいいですし、物理的には、花びらを撒いたりすることや、自分の髪の毛を置いていくといったことでもいいですよ。
祈るという行動は、前向きな気持ちを維持することにつながるのですね。確かに、神様にエネルギーを送るつもりになれば、背筋がピンと伸びるような感覚になりますよね。マイナスな気持ちと決別するヒントはそういったところにあるのかもしれません。
誰かを心配することが、心のモヤモヤを増幅させていたなんて…予想を超えるレーネンさんの発言に興味津々。よくある日常のお悩みについてもっと色々聞いてみようということで、次回は、身近にいる嫌いな人、困った人との人間関係について深堀りしていきます。
>>次回へ続く…