2015.06.18 18:05

「“一見まともに見られる既婚女性”にしがみつくしかない」雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第24回

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穴の底でお待ちしています

誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか? 雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。

(サミー/30代後半/女性)

私は「ずっと独身でいい」と周りに言い続けていたこじらせ女子の一人でした。あえてそんな主張を人にしなければならないくらい、実は周囲の目が気になって仕方なかったんだと思います。

そんな中、30代後半になって、10年以上ぶりに運良く人生で二人目の彼氏ができました。内心舞いあがっていただろう非モテ女の私は、その勢いで、交際1年程で妊娠が発覚して出来婚(本当は私もわざとの不注意の結果です)しました。

年齢的にも恋愛、妊娠ともに次は無いという頭の隅の計算と、なによりこの私に子供まで出来たことに感動し、「彼の子ならば」と結婚を考え、幸せな未来があると信じました。

そして二人だけの結婚生活はほとんど無いまま無事子供が生まれ、その直後のてんやわんやの頃は楽しかったです。普通の幸せのようなものが手に入ったんだと勘違いしていました。
しかし、どんどん寒々とした現実が姿を現しました。

最初から感じてはいたものの、自分の家族含め夫の両親、親戚側からの私に対する白い目。元々の知り合いだとか長く交際してきた訳でもなく、付き合ってすぐ30代後半という年齢で出来婚、というのは印象が良くないのは当然ですが、私の地位はまるで無いかのような扱いです。また、仲良くなれたと思っていた年下ママ友に陰で馬鹿にされていた事も知りました。

でもここまでなら仕方がないと思えた気がします。問題は肝心のパートナーである夫。最初は子供という存在に慣れないのだと思っていましたが、違いました。自分の子供にびっくりするほど興味が無い。そして私にも甘い愛情どころか関心も無くなったようです。

せめて、昔ながらの男性感覚で育児不参加なのだと思いたかったのですが、私や子供がひどい高熱を出しても、ただ面倒くさそうで、体の心配すらしないのです。譲歩して「~だけはして欲しい」といったようにお願いしても、一時変わるだけで意識の変化はほぼ無く、暖簾に腕押し。まるで、彼にとって私は出来の悪い家政婦であるかのような反応をされました。

そんな中、夫がこっそりやっていたSNSを見てしまったのが決定打でした。そこには、子供ができた事への義務的な責任感と年齢的に年貢の納め時、と「諦めて」結婚したというような内容の言葉があり、ショックで茫然としながらも全てを納得しました。
本気で愛しているわけでも無い女の子供に、深い愛情が無いのは当然だったんだと。

一方で、私にとってはお腹を痛めて産んだ子供は宝物です。私が夫の分も愛せばいいんだと、その愛しさは揺るぎないです。

ただ、そんな私を試すかのように、子供は乳児の頃から他の子の何倍も手が掛かる子で個性が強いです。知り合いやネットで繋がる人達のお子さんとは明らかに程度が異なり、異常な癇癪、絶叫、不眠、体の弱さ、多動性、まるで融通が効かないこだわり。これはこの子の個性だから包んであげなければと思ってやっていますが、全て一人で対応していたので、夜泣きが続いた数ヶ月はノイローゼ気味になり、手を上げてしまいそうな程でした。

こんなに頑張っているのに、父親や義両親、私より早く3人の子供を育てている妹からは、「子供に甘過ぎる」、「言いなりになるから我儘な自己中の子になっている」、「しつけがなってない」、「家庭が作れていないから発達障害みたいな子供になるんだ」とダメ出し。
ダメ出しはするのに世話をしてくれる事はなく、こんなに大変なのに、子供の為にも2人目を作れと催促。保育所の先生からも厄介者扱いされているのを感じます。

悔しく悲しく、私の自尊心はボロボロになっていきました。そうして40歳手前でなお自意識過剰で見栄っぱりな私は、承認欲求が高まり、パートで仕事をするように。公に認めてくれる場所を求めざるを得なかったんだと思います。

仕事をしている自分が好き! の本性は「存在を認められたい、褒められたい」。その結果、仕事中は満たされるものの、身内からは新たに非難されるように。「子供に十分なしつけもできていないのに預けるなんて」、「節約で生活できるはずなのに独身感覚の無駄使いが治らない」、「人の親になった自覚が足りない」……。

「子供は生き甲斐」「私が守る」「将来が楽しみ」。ほんの社交辞令で可愛いと言われた事、ちょっとした成長、細かい事まで子供の良さをアピールするようにSNSに書き連ねます。身内に可愛がられない分も褒めてもらいたくて、自分好みの服を着せて写真をupして……。

しかし結局、拭えはしないのです。何故自分だけ? 夫も親もいるのに傍に味方がいないの? 私は、この子は、身内に愛されないの?
よそとは比べない、と強がっていても、体調によって絶望しそうになります。

周りには妻としてごく普通に大事に思われている奥さんや、父親と遊び、愛情をもって叱ってもらえる子供がたくさんいます。楽しそうなお出掛けの様子、お祖父ちゃんお祖母ちゃんにあれこれ買ってもらって季節の行事をする様子……。本当は、和やかで普通に愛情のある子連れ家族が心底妬ましいです。

また結婚して子供がいても、こんな状態のためか、今なおモテておしゃれな生活をして彼氏に愛されている独身女性も、本まで出されて人気者になられ、こじらせだったことが分からないぐらいきれいな雨宮さんも当然羨ましいです。

他のお母さん方なら軽い愚痴で済むであろう、自由時間が無い事や外で子供が邪険に扱われた出来事も、社会が敵のように思え、悲劇の主人公ぶって非難する気持ちが止まりません。
心に余裕なんてないからです。親になっても大人になれません。

非モテの私が舞い上がってスピード出来婚なんかしたのが間違い。こんな男を夫に選んでしまったのも、自分に見る目が無かったから。そもそも親に十分に愛されて育ち、自分に自信があったら、もっと冷静に相手を見られたはずだ。と、こんなみじめな事は認めたくなくて、今まで言葉にできませんでした。

見栄っぱりの私は近い知り合いであるほど、「子供がこんなに可愛くて幸せ、パート仕事もできてやりがいがあって嬉しい」といった話しかできません。

こんな、いても意味の無い夫なら別れよう、という決断もこの先きっとできません。父親の無い子供にしたら可哀想、それ以上に私だけで幸せにする自信が無い、というだけではなく、愛されていないと知った今も、「結婚している、夫がいる」という地位を手離したくないんだと思います。

つくづく情けなく馬鹿みたいですが、どうせ離婚しても他の男性に愛される事もないだろうと思うと「一見まともに見られる既婚女性」にしがみつくしかない気がしてしまうのです。堂々と生きていく自信が無いのです。

愛しい子供はいるのに、虚しさ、みじめさは消えず、赤ん坊のように癇癪を起こし泣きたくなります。

(※投稿内容を一部、読みやすいように編集させていただきました。)

ずいぶんお疲れの様子ですね。人の目を気にしていたら絶対頼めないような、花火が刺さったカクテルでも出しましょうか。はい、やけどしないように気をつけて……。

サミーさんの文章には、大きな矛盾がいくつかあります。「独身生活を満喫している人たち(私、雨宮を含む)が羨ましい」と言いながら、「結婚している、夫がいるという地位を手放したくない」とうところなどはその典型です。

おそらく、「独身生活を満喫している人が羨ましく思える」というのは、サミーさんの本心でしょう。でも、外部からそういう人たちがどう見られているか、自分自身がどう見られているかを考えると、「結婚している、夫がいる」という地位のほうが、「高く」見られることを知っているから手放せない、ということなのではないでしょうか。「一見まともに見られる既婚女性」という言葉は、それを象徴していますよね。独身女性を羨む気持ちがありながら、独身女性がどんなにまともに見られないか、サミーさんはよく知っているはずです。

サミーさんの苦しみを分解していくと、「社会的にどういう視線を向けられるか」というところにたどり着くものと、「今、自分自身がつらいと感じていること」の二つに分けられると思います。例えば、サミーさんを責めてくるご両親や妹さんの論拠は「社会的な視線」でしかありません。たまたま自分は複数の子供に恵まれ、サミーさんのお子さんのように手がかからなかったから、「一般論」に寄って立って、その立場からサミーさんを攻撃する。「子供にも自分にも興味のない夫」や、「身内に子供が愛されていない」「仕事で自己実現をして、楽しい部分もあるけれど、虚しさやみじめさは消えない」というのは、サミーさん自身の実感によるものでしょう。

面白いのは、サミーさんがご自分のことをネガティブに書かれているのとは逆に、非常にポジティブに行動を起こされていることです。非モテでも愛が欲しいと思えば、彼氏を作って結婚をして出産をし、大変な育児をしながらも「承認されたい」と思えば働きに出ていらっしゃる。どれも、自分を肯定するための行動ですし、まっすぐな努力をされてきたのだなと感じます。

人目を気にせず生きろ、と言うのは簡単ですが、私には言えません。人と関わる限り、人の視線はついてきます。人の視線でがんじがらめになっては「こんなに苦しい思いをするくらいなら、人の視線なんかもう気にするものか」と誓うことを繰り返して、私は生きています。

サミーさんのように、誰かと自分を比べ、誰かのほうが自分より上だとか、下だとか、結婚してるとかしてないとか、子供がいるとかいないとか、愛されているとかいないとかで「自分とは立場の違う人間」だと思うことは、誰にでもよくあることでしょう。でも、誰かより自分が上だと感じたことで「幸せ」だと思えたことはありますか? 「立場が同じ人間」だからといって、わかりあえたことはありますか? 

はっきり言いますが、サミーさんのご両親、妹さん、みなさん家族でも、まったくサミーさんのことを理解されてないですよね。育児も仕事もして偉いね、ってどうして誰も言わないのか、不思議でなりません。ご両親も妹さんも、自分の生き方とは違うサミーさんの生き方を許容できないのだとしか思えません。「同じ母親」でありながら、わかってくれてない。旦那さんも、味方になるどころか、どんなにサミーさんが苦労されているか、知りもしないわけですよね。身近にいる人にこれだけ冷たい視線を向けられて、自分のことを肯定できる人がいたら、精神が強靭すぎてちょっとおかしいくらいですよ。

その一方で、サミーさんはすごく恵まれているとも言えます。フルタイムで仕事をしなくてもやっていけるわけですし、不妊でもなく子宝に恵まれています。サミーさんの状況を「羨ましい」と言う人も当然いるでしょう。

「既婚女性という立場でいなければ、堂々と生きていく自信がない」。あの……ケンカを売られているわけではないですよね? 「雨宮さんは本も出されているし人気者だからいいじゃないですか」って言うんですか? 結婚もできていないのに、堂々と生きていると? 誰からも叩かれず、非難されず、憐れまれず、つらい思いもせずに生きているように見えますか? 「仕事はできてるかもしれないけど、独身でこの年齢で、子供も産めるかわからないかわいそうな人」「ご両親に孫の顔も見せないなんて親不孝」と、言われたことがないと思いますか? そして、そういう比較の果てに、何がありますか? 

人は、上下とか立場の違いとかで分断されやすいものです。でもその分断は、仕方なく起きるものであるべきで、こちらから起こすものではないと私は思っています。サミーさんがこのコーナーに愚痴を送ってくれたのは、なぜでしょうね。私のように、結婚していなければ子供もいない人間には「わからない」と思っていたら、送ってくれなかったでしょう。サミーさん自身は、分断を望んでない。自分が幸せになるための行動もできる。すごくポジティブでいい人じゃないですか。

自信の持てなさを解決するのは難しいですが、せめて自分が「幸せになるために行動してきた」ことに自信を持つことはできませんか。そして、自信を失わせるだけで何も手伝ってくれないご両親や妹さんと、少し距離を置くことはできないのでしょうか。

私には、サミーさんはもともと、向上心もあり、自分の自信のなさを克服するために行動する力も、努力する力も、勇気も全部持っているのに、周りの人がサミーさんの自信のなさにつけこんで、見下しているようにしか見えないのです。

「自信がない」ということ自体は責められるようなことではありませんが、自信のなさは、びっくりするほど嫌な人を呼び寄せるものなんですよね。つけこんで見下してやろうとする人、いいように使ってやろうとする人……。そして、自信のない人は「そんな人と関わった自分の見る目のなさが悪いんだ」と思う。違いますよ、人の自信を奪うようなことを言う人が悪いんですよ。生まれつき自信がなくてみじめだったんじゃなくて、自信を持とうとしているサミーさんの心を折る人たちが身近にいたんですよ。

人の目を気にするな、とは言えなくても、自信を折るようなことを言ってくる人は、たいてい、サミーさんよりも上の立場にいたい人です。マウンティングというやつです。これまで努力してきたこと、がんばってきたこと、今も精一杯やっていること、そのことを、誰も認めてくれなくても自分では認めて、馬鹿にしてくるような人とは距離を置いてください。例えば、お子さんと二人の時間で、誰に見られていなくても幸せだと感じる瞬間もありますよね。そういうことを大事にしてください。

惨めさから自分を救ってくれるのは、誰かの上に立つことでも、誰かより優位な立場にいることでもありません。自分の尊厳を自分で守ることでしか、救われることはないんです。自分を惨めにさせるような人とは手を切って、尊重してくれる人、対等に扱ってくれる人と接してみてください。自分を非難してくる人に、認められようとしないでください。それは無駄なことです。

私は、仕事からして普通の基準から外れていますし、みんなに「幸せそうな人だ」と思ってもらうことを、諦めざるを得ないところがありました。「周囲から認められる幸せの形」を自分が得ることは難しかった。それを持たなかったから、失うことを恐れずにできたこともあったと思います。世の中には、望んでも持てないものもありますし、望んでなくても持たされているものもあります。サミーさんは、何を「持ちたい」のか、そのことをもう一度考えて、それを邪魔する人の声には、耳を貸さないでください。人の思う幸せの形から多少外れても、幸せだと感じる瞬間があれば、それが惨めさから自分を救ってくれます。

サミーさんは、駄目な人でもなければ、何か大きな間違いをしたわけでもありません。そのことだけは知っておいてください。



みなさまの愚痴を、雨宮まみが「穴の底」にてお待ちしております。長文大歓迎!
恋愛相手の愚痴も、職場環境にまつわる愚痴も、誰にも言えない愚痴も、「スポーツジムのおじさんの汗がキモイ…」みたいなしょうもない愚痴も、なんでもござれ。大なり小なり吐き出して気を楽にしませんか?
「どうしたらいいでしょう?」のような相談は受け付けておりません。ごめんなさい。


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雨宮まみ
雨宮まみ(あまみやまみ)
ライター。アダルト雑誌の編集を経て、フリーライターに。女性の自意識との葛藤や生きづらさなどについて幅広く執筆。女性性とうまくつきあえなかった頃を描いた自伝的エッセイ『女子をこじらせて』出版後、「こじらせ女子」がブームとなる。他の著書に対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(KKベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)、『タカラヅカ・ハンドブック』
(新潮社)など。

「キレイになりたい!」と言えないあなたに。

『女の子よ銃を取れ』

他人の視線にビクビクしたくない、自分らしく堂々としていたい、かわいい、キレイと言われてみたい……そう思っていてもどうすればいいのかわからないし、「キレイ」への道が怖くてたまらない。
キラキラした「キレイになりたい」本を手に取ることすら怖いと感じるくらい、「キレイ」が重荷になっている人のための、自意識や他人の視線、自分の視線を解きほぐす本です。

雨宮さんより一言:
何をしても、何を買ってもうまくいかない、変われないしパッとしない……。そんな悩みは、本当は多くの人が持っています。それ以前に何をすれば、何を買えばいいのかもわからない人だってたくさんいます。この間まではわかっていたのに、急にわからなくなってしまった人も。そんなときに、自分を取り戻し、新しい自分を作り上げるヒントや、気持ちの持ち方の軸のようなものがあればいいなと思って書きました。落ち込んだときのおともにしていただけると嬉しいです。

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