2014.11.06

「ナルシストで武士道な女」 雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第11回

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穴の底でお待ちしています

誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか? 雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。

(あこ/女性/30代前半)
私は武士道な女です。常に「~するべし」「~であるべき」という自分の指針に基づいて行動しています。他人にはなるべく誠実に接すること、自分の責任を果たすこと、目的地に向かって努力をすること、自分の誤りを認めること。これらの誓約は、自分の美意識に沿うことなので、マイナスには捉えていませんし、別に他人に価値観を押し付ける気持ちもありません(宗教の違いのようなものだと思っています)。若干ナルシスト気味であることも自覚しています。そう、私は「自分はスゴイ」と思っています。

しかし、周りからは何かと距離を置かれがちになるのが寂しいです。 私は、自分のことが基本的に大好きです。バカな所も、無骨な所も。しかし、自分一人だけいればOKではありません。私は元気、皆も元気な状態が好きなのです。「自分を認めてほしい」とは思っていますが、「自分をあがめ、称えてほしい」とは思っていません。ムカつく相手をコテンパンにしてもスッキリしません。時代劇は好きですが、水戸黄門よりも鬼平犯科帳や御家人斬九郎の方が好きです。

また、努力することも好きです。中学校はソフトボール部に所属していましたが、私の基本設定は当時のままです。目の前の白球を無心で追いかけています。仕事への姿勢についても、生き方についても、あるべき理想に向かって努力し続けています。そして勿論、それなりの結果も出しています。(なぜなら、努力しているから! そして、批判に耳を傾け、未知の領域にも勇気を出して一歩踏み出しているからです)現在は派遣として働いていますが、一つの分野の運営を任されています。上司や関係者から信頼を得ていることは、私の誉れです。私が頑張れば頑張るほど、私の能力や人柄を認めてくれる人も増えますが、同時に遠巻きに見る人も増えます。周囲の人からは“ついていけない”と思われています(私の行動はパワフルで暑苦しいのでしょう)

また、“この人は強いからOK″と勝手な期待を持たれたり、逆に反発されたりします。 私の家族がその通りでした。私の家は母子家庭で祖父と同居でしたが、2つ上の兄は“生意気だ”と反発し、母は期待し、祖父は甘えてきました。私は家族のお世話係で、母の“依り代(よりしろ)”で、祖父の“母”でした。その不健全な関係に耐えられず、現在は家族と距離を置いています。結局そうなるのです。私は頑張ることが好きですが、結果的に対人関係が不健全になります。

人は弱い生き物です。強いものに守られたい、頼りたい、庇護されたい気持ちは解ります。また驚くべきことに、周囲に対して体裁を作っている強者男性ほど、私に母性を見出して甘えてくるのです。私の中に母性は有りますが、母性を利用されることには気持ち悪さを感じます。「武士道とは、死ぬことと見つけたり」が頭から離れません。気持ち悪さに耐え、背負うべきを背負い、私の役目を完結させなければならないと思います。自分で勝手に定めた“お役目”ではあるのですが、誇りに思うと同時に、お役目から逃れたくもあります。私は疲れています。早く終わってしまいたいです。

(※投稿内容を一部、読みやすいように編集させていただきました。)

武士道な方には、何をお出しすれば良いのでしょうね……。私が茶道などたしなんでいれば、武士の方にもふさわしいものをお出しできたのに、残念です。抹茶ラテあたりで手を打ってもらいましょうか。

あこさんの愚痴からは、なんだか人間社会の縮図が見えてくるようで、少し不思議な気持ちになります。人というものは、大きな世界の小さな歯車でありながら、このように世界を俯瞰して見るようなことができるのだなと思いますし、個人の体験が結果的に全体の仕組みを映し出していることもあるのだなとも思います。

私がそのように感じる場所は、大きく分けて二箇所です。「自分が正しいと思うことをしていると、自分は満足だが、人は必ずしもついてきてくれない」というところ、そして「そんな自分を誇りに思うと同時に、頼られてしまって疲れて逃れたい、早く終わってしまいたいと思う」というところです。

人は、正しさが好きですが、その一方で正しさを恐れます。すべてが正しいままに生きている人はほとんどいないからでしょうか。私は、特に法律を犯すようなことはしていないのですが、パトロール中の警察官とすれ違うと、なんとなく「怪しく見えないような歩き方をしなければ……」と思って、ギクシャクしてしまいます。あこさんは「暑苦しく見えるから、人が離れていくのだろう」と推測されていますが、あこさんの正しさを見ている人は、あこさんがその正しさの基準を他人に押しつける気がなくても、その正しさを「怖い」と感じているのではないかと思います。

正しい人、努力している人、そういう人は大勢の人に尊敬されますよね。有名な人のドキュメンタリーや評伝で人気のある物語は、努力の物語です。みんなそういう話が好きなのに、実際にそういう人が身近にいると、自分のだめさと比べてしまって逆ギレのようにそういう人を憎んだり、比べて自分が落ち込むからとそういう人を避けたりします。最初から自分と違う人の努力の物語、生きてきた時代や世界が違う立派な人の物語は受け入れられても、身近な人の立派な物語は怖いんです。なぜ怖いのか、それは「努力すれば自分にもできるかもしれない」からです。

「努力すれば自分にもできるかもしれない」というのは、通常、希望であり可能性ですよね。でも、それが重荷になる人がいます。そういう人は「努力しない怠け者」のように、社会では扱われがちですよね。でも、疲れていて、たまには休みたいと思っている人がいたとして、その人が休日に「うちの会社、給料安いんだよなー」とこぼしたときに「え? なんで転職しないの?」と言われたら、どうでしょうか。「そうか、転職という道を選んでもいいんだ」とハッとする人もいると思います。でも、確実に「これ以上、疲れることをしなきゃいけないのか」とか、「いや、そこまで不満なわけじゃないんだけど……」と、ぐったりする人もいるのです。

私自身のことで言えば、今よりも若い頃がつらかったのは、可能性は無限大、みたいなことを常に言われていたからだったな、と思います。何にでもなれる、とか、きみたちには未来がある、とか、そうした希望的な言説がすべて「でも、努力が足りないお前には無理だね」と変換されて聞こえていました。今すぐ始めなきゃ、今すぐ何かを始めなきゃ、でもその何かが何なのかわからない、という恐怖。今も、その恐怖はあります。あこさんの周りの人は、もしかしたらそうした気持ちを持っているのではないでしょうか。

もちろん、あこさんがそうした周りの人たちに合わせて行動することはありませんが、書いていただいた状況を読む限り、あこさんは、周囲の人からあまり正しく理解されていないように感じます。理想に向かって努力しているだけで、もともと理想の通りに生まれついたわけではないこと、あこさんの「正しい姿」は、そうあるべきだというお気持ちから来ているものであって、その姿を保っているのは決して楽なことでも、自然なことでもないのだということを、誰も理解していないようにお見受けします。あこさんのことを周りの人たちは「自分たちとは違う人種」だと思いたいのでしょうし、そうしなければ怖いのでしょう。

あこさんにとっては、その「理想に近づいている自分の姿」を崩してしまうのは、とても怖いことでしょう。私があこさんの立場であれば、それはこれまでの努力がすべて台無しになってしまうようなことだと感じます。だからできない、理想を保ったまま生きられないのなら死を選ぶしかないのだと、あこさんの理想や正しさが、あこさんの中の弱い自分を追いつめている。そのように感じます。あこさんと周りの人たちは「弱さ」という共通項でつながれるし、理解し合えるかもしれないのに、「正しさ」や「強くあろうとする姿勢」がその妨げとなっている。

私は、あこさんが間違っているとは思いません。けれど、あこさんの「正しさ」に照らし合わせて、自分が弱いからといって他人によりかかる人間は、「正しい」ですか? あこさんは、弱いから頼りたくなる気持ちはわかる、と理解しようとしていますが、弱い側は、強くあろうとするあこさんの気持ちを理解しようとしてくれているのでしょうか。あこさんが強い人間としての役目を引き受けたいと思うのは立派なことですが、それではあこさんの「弱さ」は、誰が引き受けてくれるのですか?  あこさんだけが我慢をしなければいけないのですか? そして、あこさんにその我慢を強いているのは、誰でしょうか? 周囲であり、あこさん自身の「正しさ」ではないでしょうか?

「気持ち悪さに耐え、背負うべきを背負い、私の役目を完結させなければならない」って、気持ち悪さになんか耐える必要ないです。あこさんに気持ち悪い思いを強いてくる人が、「正しい」わけがないじゃないですか。自分自身の追求する正しさを他人に強いてはいけない、弱い者を背負えるなら背負うべきだ、という気持ちは、たぶん少しは理解できます。あこさんの「正しさ」が、あこさん自身を追いつめ傷つけている。そのことも、間違ってるとは思わない。自分とそのように格闘する人生もあります。けれど、あこさんを守る人は、あこさんしかいない。

私は、生きることよりも正しいことなんてこの世にないと思っています。私は自死も、自死を思う弱さも否定しませんが、生きているということが、もっともタフで強いことだと思います。だから、はっきり言いますね。あこさんは、かっこいいけど、かっこ悪いと思います。ナルシストであることも、努力家であることも、強くあろうとしていることも、なんにも悪くないし間違ってません。ただ、気持ち悪いことを拒んではいけないと思うこと、背負うのが重いことを拒んではいけないと思うことは、間違ってると私は思います。

正直なところ、やせ我慢の「お役目」でそれらのことを背負い込んで、早く終わってしまいたいと思うような人生に、私は覚えがあります。AVについて書いていたときの自分がそうでした。あこさんほど立派ではありませんでしたが、私はAVの良さを広く伝えたいと思っていたし、それが自分の役目だと勝手に思っていました。誰に押しつける気も、誇示する気もないつもりでいたけど、認めて欲しいという気持ちがだだ漏れていたんでしょうね。うっとおしがられ、嫌われ、馬鹿にされました。女性だから差別されたと感じる部分もありましたが、個人の資質の部分が嫌われていたと感じる部分もありました。心を許せる友達は作れませんでした。弱味は噂話のネタにされ、疑心暗鬼になりました。生きているのが辛かったし虚しかったし、なぜがんばっているのにこんな思いをするんだろう、と思っていました。そして、誇りを踏みにじられたとき、私は誇りを捨てて敗走しました。たかがAVにおおげさだと思うでしょう? 間抜けですよね。でも私には大事なことだったんです。さっき、あこさんに「かっこ悪い」なんて言ってしまいましたけど、私こそがかっこ悪かったんだし、もっともっと恩知らずだったし最低だったんですよ。自虐ではなく、私を知っている人ならそれが事実だと誰もが知っています。自分が逃げたから、逃げることが正しいんだとか、それで良かったんだとか言う気はありませんし、AVについて、今も整理できていない部分があります。ただひとつ言えることは、そんな出来事がなければ、私は自分の人生を、他人にどう思われるかではなく、自分がどう感じるかを主体にして捉え直すことはできなかっただろうということです。

強いと思われなくていい、かっこいいと思われなくていい、立派な人だと思われなくていい。一度は確かにそう思ったのに、そう思い続けることは今でもとても難しいです。立派な人だと言われたくて、この文章を書いています。自分のために生きればいいんだと思うけれど、人から感謝されることは気持ちがいいし、そういうものを求めてしまいます。私の人生はかっこつけようとする自分と、かっこ悪い自分をさらけ出すことの戦いで、シリアスなものと間抜けなものが入り交じった、少々わかりづらくて滑稽なものなんだな、と最近は思っています。

自分が弱く、かっこつけているのに十分な強さを伴わない人間であるということを知るのは、つらいけれど素晴らしいことです。あこさんは今、すごく大事な、そしていちばんつらい局面に立っておられます。凡庸な言葉ですが、「夜明け前がいちばん暗い」という言葉がありますよね。どうか信じてほしいのですが、今がそのときです。あこさんのいちばんチャーミングな部分は「水戸黄門よりも鬼平犯科帳や御家人斬九郎の方が好きです」というような発言をポロッとされているところで、今が「水戸黄門よりも鬼平犯科帳や御家人斬九郎」になるチャンスなのです。自分の美意識や価値観を超えたところにある他人を知り、自分の矛盾を知り、どのようにそれらと折り合いをつけてゆくのかを知るときが来ているのだと思います。

美意識を引き裂かれるのがどんな痛みを伴うものか、私は少しはわかります。美意識や理想が縦の糸だとすると、矛盾や他人といった自分でコントロールできない要素は横の糸です。縦の糸だけだと簡単にブチブチ断ち切られてしまうものを、横の糸を織り込んで強い布にしていくときが今です。何らかの力で、誰かの力で美意識を引き裂かれるようなことがあっても、そのことはあこさんの努力も、魅力も、本質的な力をなにひとつ奪うことはできません。どうか身体に気をつけて、誰かのためではなくご自分のためにこの局面を乗り切ってください。


みなさまの愚痴を、雨宮まみが「穴の底」にてお待ちしております。長文大歓迎!
恋愛相手の愚痴も、職場環境にまつわる愚痴も、誰にも言えない愚痴も、「スポーツジムのおじさんの汗がキモイ…」みたいなしょうもない愚痴も、なんでもござれ。大なり小なり吐き出して気を楽にしませんか?
「どうしたらいいでしょう?」のような相談は受け付けておりません。ごめんなさい。


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雨宮まみ
雨宮まみ(あまみやまみ)
ライター。アダルト雑誌の編集を経て、フリーライターに。女性の自意識との葛藤や生きづらさなどについて幅広く執筆。女性性とうまくつきあえなかった頃を描いた自伝的エッセイ『女子をこじらせて』出版後、「こじらせ女子」がブームとなる。他の著書に対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(KKベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)、『タカラヅカ・ハンドブック』
(新潮社)など。

「キレイになりたい!」と言えないあなたに。

『女の子よ銃を取れ』

他人の視線にビクビクしたくない、自分らしく堂々としていたい、かわいい、キレイと言われてみたい……そう思っていてもどうすればいいのかわからないし、「キレイ」への道が怖くてたまらない。
キラキラした「キレイになりたい」本を手に取ることすら怖いと感じるくらい、「キレイ」が重荷になっている人のための、自意識や他人の視線、自分の視線を解きほぐす本です。

雨宮さんより一言:
何をしても、何を買ってもうまくいかない、変われないしパッとしない……。そんな悩みは、本当は多くの人が持っています。それ以前に何をすれば、何を買えばいいのかもわからない人だってたくさんいます。この間まではわかっていたのに、急にわからなくなってしまった人も。そんなときに、自分を取り戻し、新しい自分を作り上げるヒントや、気持ちの持ち方の軸のようなものがあればいいなと思って書きました。落ち込んだときのおともにしていただけると嬉しいです。

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