恋愛短編小説『恋百色』 第5話「洗濯日誌」

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恋百色

誰かが誰かを好きになって、ちょっぴり涙する。そしてピョンとはずむ。いつもより少しだけ高く。
誰かがあなただけに打ち明ける、失恋ショートストーリー

第1・第3曜日更新

作・みよろり

第5話 「洗濯日誌」

大学卒業後、就職に失敗してしばらく暢気にフリーターを続けていた僕は、親父に雷を落とされ、しぶしぶ実家のクリーニング店を手伝うようになった。

正直なところ家業を継ぐ気などさらさらなく、「洗濯屋」と言ういかにも地味なその職業を少し小馬鹿にしていたような節さえ僕にはあった。そんな気持ちを見透かしてか、アイロンがけやシミ抜きなどの重要な仕事を、親父は一切手伝わせてくれなかった。

それはむしろ、僕にとってはラッキーで、技術を要する難しい役目よりも、店で母と一緒にお客に愛想を振りまいている方がずっと楽なのである。

僕が最初に接客をしたのが、雪江さんだった。雪江さんにとってもその時が、この『中川クリーニング』に訪れた最初であった。僕が手渡した会員カードの記名欄に、彼女は「高」と書きかけて、すぐに塗りつぶし、「一ノ瀬雪江」と書き直した。結婚したばかりなのかと思ったが、どうやら逆であるらしいと後に分かった。

というのも、彼女がクリーニングに出す衣類はたいてい女性もののビジネスシャツとスーツ、それと幼稚園の制服、である。男ものの衣類を持って来ることは一度もなかった。雪江さんは夫と別れ、幼稚園に通う女の子と二人きりで暮らしているのだ。

僕よりも10歳くらい年上の雪江さんは、いつも黒い髪を後ろに縛り、薄化粧で、淡いピンクの口紅をつけている。美人ではないけれど、笑みをたやさず、清潔感があり、透き通った耳障りのいい声をしている。娘の名前はリナちゃんと言うらしく、幼稚園のブレザーには黄色い糸で「RINA」と刺繍が施されていた。

雪江さんが店に来るようになって一年程したある日。閉店間際に現れた雪江さんは、少し不安そうな面持ちで、一枚のシャツを預けて帰った。それは、胸元に口紅の跡が付いた、男もののYシャツだった。僕は、雪江さんの前に突如出現した「男」の影に、ハラハラせずにはいられなかった。

それ以降、雪江さんは今までに持って来たことのないような、シフォンのブラウスやシルクのワンピースといった、属に言う「よそ行き」の服を持って来るようになった。男の影は、もはや影ではなく、確かな輪郭のある実体となって雪江さんの傍らに立っているように思われた。

雪江さんの恋を勝手に応援し始めた僕に母はこう釘を刺した。「佑介、うちは洗濯屋。センサクは無用よ」と。母はよく駄洒落を言う。

恋は順調に進展しているように思われた。雪江さんが自分のオシャレ着と一緒に、子供用の「よそ行き」を持って来た。「彼氏」にリナちゃんを会わせたのだと僕は思った。幸い、母と子の「よそ行き」はその後も毎週末『中川クリーニング』に出され続けた。

ところが、細い雨の降る夕方だった。偶然、路地裏で雪江さんを見かけたのだ。夕闇の中、白いブラウスを雨に濡らしながら彼女は歩いていた。眉を寂しく寄せて、目を赤くし、唇を噛み締めて。彼女の頬に伝っていたのは雨ではなく、まぎれもなく涙だった。

次の日、彼女は白いウールのブラウスを店へと持って来た。僕は素知らぬ様子でそれを受け取って、いつもの通り、作業的にポケットをチェックした。中にはハンカチが入っていた。男ものの紺のチェックのハンカチだった。

「こちらは、どうなさいますか?」ハンカチをクリーニングに出す人は滅多にいない。「もう、返すこともないので。捨てておいてください」今までに聞いたことのない、冷ややかな口調で雪江さんはそう言った。

僕は思う。きっとこの別れは彼女にとって悲しく、不本意なものだったのだろうと。でも、こうも思う。最後に「男」が貸したこのハンカチには、その「男」なりの彼女への思いやりと優しさが織り込まれているのではないかと。悲しさと悔しさのあまり、彼女は「捨てて欲しい」と言ったけれど、本来の雪江さんは「男」のささやかな優しさを無下にするような人ではない。そういう人であって欲しくない。これは僕の、勝手で傲慢な願望である。

僕は初めて親父に仕事を手伝わせて欲しいとお願いした。理由は簡単だ。雪江さんが持って来たハンカチを洗濯して、アイロンをかけるためである。正直に経緯を話すと、親父は納得し、快く職人の技を教えてくれた。

そして今ここに、白いブラウスと共に、綺麗に洗濯されたハンカチが置かれている。僕の予想ではきっと今日、雪江さんは店に来るだろう。その時これを見た彼女はどうするだろうか。余計なお世話だと僕の頬をぶつかもしれない。でも僕は勇気をもってこれを渡す。これには「男」の優しさだけでなく、今や僕の、雪江さんへのちょっとした好意とエールが織り込まれているのだ。

〈第5話「洗濯日誌」おわり〉

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次回予告
第6話「さよなら乙女剣」10月16日(水)更新

みよろり
関西出身、牡牛座、AB型。広告代理店、出版社を経て、フリーライターに。世間の幸と不幸を吸収し、ゆるりと執筆中。

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